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米国の第四十三代大統領にジョージ・ブッシュ前テキサス州知事が就任した。昨年十一月の選挙では開票結果が投票日から一ヵ月以上も確定せず、世界中から注目を浴びた。あの混乱が新政権の今後にどのような影響を残すのか、先のことは分からない。が、選挙史上前例のない経緯で選ばれた大統領として、米国の歴史にブッシュ氏の名が残ることは間違いあるまい。
二〇〇〇年の米大統領選挙は、ジャーナリズムの歴史でも記録に残るだろう。有力テレビ・ネットワークが揃って、一度ならず二度までもそれぞれの開票速報を撤回するという失態を演じ、メディアによる選挙報道のありようが、あらためて問い直されたからである。
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速報を二度も撤回
最初の失態は、米東部時間の投票時間が締め切られてまもなく(中部時間帯以西ではまだ投票が進行中に)各ネットワークが相前後して「ゴア優勢」の見通しを速報したこと。フロリダ州でゴア候補の得票が伸びているとの判断に基づいて出されたものだが、ほどなくブッシュ候補との票差が接近したため取り消された。
二度目は、投票日翌日の東部時間午前二時過ぎ、フォックス・ニュース・チャンネル(FNC)が「ブッシュ当選」を速報、その後わずか五分足らずの間にPBSを除く全ネットワークが同じ内容の速報を流したこと。しかしそれから一時間前後の間に、これまた各局とも取り消した。両候補の票が接近して勝敗つけがたくなったためである。
報道の混乱で批判を浴びた各ネットワークは、内部調査を約束していたが、一月上旬、CBSとNBCが調査結果をまとめ、公表した。両社の調査結果におおむね共通しているのは、間違いが生じた原因として、速報を判断する際のデータを出口調査会社VNSのそれに頼りすぎたこと、自社の記者やAP通信からのデータを十分に活用しなかったこと、などを挙げている点である。VNSは各ネットワークとAP通信が共同で設立した会社で、今回のフロリダ州のデータに関しては、VNSの提供した情報そのものに誤りがあったことが指摘されている。
調査結果はまた、それぞれの速報の判断に政治的な偏見に基づくものはなかったことを強調している。CBSの報告はさらに、速報の判断をする際に他のネットワークとの競争の圧力に影響されたことはなかった、とも述べている。しかしこれは、「ブッシュ当選」の速報がFNCの第一報から五分以内に各ネットワークから流れたことを考えると、にわかには信じがたい。
候補のいとこが担当
今後の対策の一つとしてNBCは、速報の最終判断をするデスクを他社の動向に影響されないよう「孤立した」場所に置くことを打ち出している。これに対しCBSは、逆にスタジオ内にデスクを置いてあらゆる情報を取り込めるようにするのだという。他社との横並び競争の圧力をどう受け止めているのか、両社の違いが表れているように思われて興味深い。
「判断デスク」による政治的偏向の有無についても、FNCの場合は疑問の余地がある。「ブッシュ当選」の速報で先陣を切ったFNCの「判断デスク」の責任者ジョン・エリスは、ほかならぬブッシュ候補のいとこだったことが後に明らかになった。開票日当夜、ブッシュ候補と幾度か電話で情報を交換していたことを、本人も認めている。そうした人物をそのポストにつけていれば、偏向を疑われる可能性は避けられない。
しかしFNCの所有者であるルパート・マードックは、エリスの役割を弁護してはばからない。報道の内容が公正さを疑われることより、有力な情報源に近い人物を身内に持つことの有利さを高く評価しているのである。
速報で間違えたのはテレビだけではない。新聞も投票日翌日付の朝刊で「ブッシュ当選」を伝えたところがいくつかあった。質の高い報道で知られる『ニューヨーク・タイムズ』でさえ、「ブッシュ当選」を打ち出した版を十万部あまり刷り、追ってそれを「勝敗の行方なお微妙」という線に差し替えるという不手際を演じていた。
変わらぬイメージ本位
選挙の開票をめぐるメディアのこうした混乱は、開票日だけの問題だったわけではない。投票に先立つ一年近い選挙戦の期間中、メディアが選挙報道で果たした役割にも関わりがあったように思われる。
大統領選挙戦がイメージ本位になり、メディア中心の選挙戦になったとの指摘は一九八〇年代から繰り返し行われてきた。九〇年代の二度の選挙では、選挙報道にいくらか改善の努力のあとも見受けられた。しかし二〇〇〇年選挙を新聞や雑誌の報道を通じて見る限りでは、八〇年代に指摘された問題が解消されたようには思えない。
民主、共和両陣営の選挙戦がすべてテレビ・カメラを意識して演出されている点は少しも変わっていない。新聞を含めて報道が、両候補の政策より戦略や戦術に重点をおいていたことも、相変わらずだった。候補者に対する評価も、個人の人柄や性格などメディア側が作り上げたイメージに基づくもので、必ずしも大統領としての適性を判断する材料となりうるものばかりではなかった。
三度にわたって行われたテレビ討論の報道でも、メディアがもっぱら強調したのは、どちらの候補が「大統領らしく」振舞ったか、人間的な「温かみ」があったかなどで、いずれが政策論争で勝っていたかではなかった。あまり知的ではないとのイメージが先行していたブッシュ候補がそこそこに議論を戦わせれば「上出来」と評価され、逆に政策通ぶりを発揮したゴア候補は「冷たい」と批判される始末だった。
結局、有権者は、メディアが伝えるこうしたイメージや世論調査の数字を繰り返し見聞きさせられるだけに終始した。それに代わる情報、選挙の本質にかかわる政策上の争点などを目にする機会が十分に提供されたとは、到底言えそうにない。
利益優先主義の結果
こうした選挙報道の背景として、ビル・コバッチとトム・ローゼンスティールは、記者が有権者や地域の政治とのつながりを失い、有権者を世論調査の数字に反映する抽象的な存在としてしか見なくなったことを指摘している(『ニューヨーク・タイムズ』二〇〇〇年十一月十七日)。経費節減のために政治報道の要員を減らす、VNSも同じ理由から収集するデータの量を削減する、FNCの例のように、報道の公正さを守るための基準がないがしろにされる。開票日の夜、各ネットワークがフロリダ州の情勢を独自の判断で読めなかったのも、こうした事情がもたらしたものだという。
選挙報道に表れたこうした問題は、煎じ詰めればメディアのジャーナリズム性に衰えが目立ち始めていることを裏付けている。有権者や市民の必要とするニュースをきちんと報道するメディアの能力が、いま目に見えて弱まりつつある、といえるかもしれない。
八〇年代後半から九〇年代にかけて米国ではメディア企業の買収・合併などを通じた巨大化が進んだ。それに伴ってメディア企業の利益優先主義も際立つようになった。大手ネットワークでも取材態勢が縮小され、海外取材要員も削減された。時間と経費のかかる調査報道も疎んじられるようになった。八〇年代まで別々に行われていた出口調査が経費節約のためVNSに一本化されたのもその流れのなかにあった。
二〇〇〇年選挙でブッシュ、ゴア両候補の支持勢力が拮抗したのは政治的な偶然かもしれない。が、その報道でメディアが演じた失態は、起きるべくして起きたもので、決して偶然ではなかったのである。
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