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十年ひと昔というから、CNNが放送を始めたのは、もうふた昔も前のことになる。この六月、創立二十周年を祝う行事が行われ、記念の特集番組も放送された。創業者のテッド・ターナーをはじめ、当時からCNNの仕事に関わってきた人たちにとっては、おそらく特別の感慨があったことだろう。
CNN(ケーブル・ニューズ・ネットワーク)は当初、その頭文字をもじって「チキン・ヌードル・ネットワーク(安上がりネットワーク)」などと陰口をたたかれていた。一日二十四時間、ニュースだけを、しかもケーブル・テレビで放送するという前代未聞の試みが成功すると考えたものは当時、専門家や放送関係者の間にも、ほとんどいなかった。
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CNN効果
放送開始から間もないころ、ニューヨークに駐在していた筆者も、当時アトランタ郊外にあったCNNのスタジオに取材に出かけたことがある。赤レンガ作りの学校の跡地を利用した本社は、校舎の裏庭に置かれた大きなパラボラ・アンテナがなければ、到底テレビ局には見えそうにない建物だった。元体育館らしい室内に設けられたスタジオも雑然と放送機器が並ぶだけの、いかにも急ごしらえのようで、放送中のキャスターの周辺も、高校の構内放送かと錯覚させるような簡素さだった。
しかしそれから数年を経て、一九八七年に三度目のアメリカ勤務でワシントンに着任したとき、CNNが生き残っていたばかりか、ニュース取材の現場ですっかり「定位置」を確保していたことを知って、少なからず驚いた。メディア各社の編集局でも取材先の広報担当の部屋でも、ごくあたりまえのようにCNNを常時モニターしていた。取材する側からもされる側からも、通信社のチッカーと同様に当てにされる存在になっていたのである。
その理由は、CNNが二十四時間、常時ニュースを放送していたこと、大きな出来事だと時間枠にとらわれず、延々と現場中継ができたことである。取材側のメディアからすると、現場の様子を刻々と伝えてくれる勤勉な通信員を何人か雇ったようなものであった。視聴率からいえば、当時まだ微々たる存在でしかなかったCNNが、ニュース・メディアとして確固たる地歩を築く足がかりになったのは、実はこの、他のメディアにとっての便利さではなかったかと思う。
このCNNが国際報道の分野で不動の存在であることを印象づけたのが、九〇年夏から九一年にかけての湾岸危機と湾岸戦争の報道だった。大きなイベントを常時、現場中継するというCNNの強みが、大きな危機に際して最大限に発揮された。このときは、世界中の報道機関がCNNを直接、間接に取材上の頼りにしただけではない。紛争の直接当事者であるアメリカ政府やイラク政府までもがCNNのテレビ画面を見ながら、相手の出方を推し測るという「テレビ外交」に引き込まれてしまったのである。テレビが外交の道具として意識されるようになったこのころから、テレビの外交や政治に与える影響が「CNN効果」と呼ばれるようになった。
変わるジャーナリズム
しかしCNNは、外交や政治だけでなく、ジャーナリズムそのものにも大きな影響を及ぼした。多くの報道機関がCNNをモニターすることによってニュース判断を多少とも左右されるとすればそれ自体、影響を与えていることになるが、それ以外にもCNNが残した衝撃を数えることはできる。一つは、ニュース報道のサイクルが極端に速まったこと、それによって表面的な報道が多くなり、深みのあるニュースが少なくなったことである。
二十四時間、ニュースを報じるためには、絶えず新しい情報を送り出す必要に迫られる。かつてCNN登場以前には、新聞もテレビもおおよそ一日のうち朝、夕二回の締め切りに合わせて取材をすればことが足りた。それだけ時間をかけて取材するゆとりがあった。が、毎時、ニュースを更新するCNNとの競争を余儀なくされると、そのゆとりはなくなってしまった。九八年一月、クリントン大統領のいわゆる不倫疑惑が浮上したとき、未確認情報が独り歩きしたのは、情報を確認するゆとりさえ失ったメディアのありようを象徴した出来事だった。
ニュースの娯楽化に拍車がかかったことも指摘できる。CNNはニュース報道における映像重視の傾向を一段と強めた。ニュースの中身の重要さより映像の面白さ、見栄えのよさが優先される。必然的に、事件や災害、有名人のゴシップやスキャンダルがニュースのなかにより大きな比重を占めるようになる。それが視聴率の上昇や新聞の売れ行き増加につながれば、ジャーナリズムの本来の役割が何であるか、といったことは消し飛んでしまう。
CNNがもともと、そうしたジャーナリズムを目指したわけではあるまいが、結果的に本来のジャーナリズムの機能を弱める方向に手を貸していることは否めまい。CNNは九五年、巨大メディア企業タイム・ウォーナーの支配下に入り、利益を生むためのマシーンの一部に組み込まれてしまった。今年初めには、このタイム・ウォーナーがインターネット・プロバイダーのAOL(アメリカ・オンライン)に買収され、巨大メディア企業の傘下で、CNNはかつての精彩を失ってしまったかに見える。
厳しさ増す競争
とはいえ、グローバルなテレビ報道の分野でCNNが果たす役割は依然として大きい。とりわけ大事故や国際関係の危機が生じたとき、二十四時間、現場中継を中心にニュースを放送できる強みが、遺憾なく発揮される。そしてそれがビジネスとして成り立つことを見て取った同業者のなかから、CNNと同じニュース中心のチャンネルを作るものが出てきた。ともに九六年に放送を開始した、ルパート・マードックのフォックス・ニューズと、マイクロソフトとNBC放送によるMSNBCがそれである。これらのニュース・チャンネルの登場は、確実にCNNの領分を侵食し始め、CNNにとって競争の厳しさが増している。
それでもCNNを視聴できるケーブル契約世帯数は全米で七千七百八十万世帯、これに対しMSNBCは五千四百六十万、フォックスは四千七百四十万と、まだCNNが大きく水をあけている。従業員は現在四千人以上、創業当時の本社はとっくに引き払い、現在はアトランタ中心部に堂々たる本社ビルを構えている(社内の見学料が八j、特別コースは二十五jという)。内外に三十七の支局を配し、テレビ、ラジオ、インターネットを通じて九カ国語で放送を行っている。このCNNに世界的な規模でのニュース報道で対抗できるのは、いまのところ英国のBBCを除いてほかにあるまい。CNNが創業からわずか二十年でここまで成長したことは、メディアの歴史に残る画期的な出来事といっていい過ぎではないだろう。
それを実現したのは、ひとえにテッド・ターナーの先見性といっていい。七〇年代に通信衛星とケーブル・テレビの持つ可能性を的確に見抜き、時代の要請を先取りしてCNNを構想した想像力と、それを実行に移した大胆さには、脱帽せざるをえない。
二十一世紀には、情報技術(IT)がますます大きな役割を持つことになるだろう。新聞やテレビの機能も大きく変わることが予想される。二十年後のメディアの世界をどう構想するか、日本のメディアの明日を担う若い世代に、眼前の問題だけにとらわれず的確に将来を見通せる、ターナーに劣らぬ先見性を期待したい。#
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