新聞三十年、いま、昔 2000年3月号

世代といえば三十年と相場が決まっている。人間は三十年でおおむね代替わりする。新聞も作り手が代われば、当然のことながら新しくなる。
 二十世紀最後の三十年余りに米国の新聞がどう変わったかを調べた調査結果が、昨秋『アメリカン・ジャーナリズム・レビュー(AJR)』誌(一九九九年九月号)に発表された。その内容に特に意外性はないが、それでもこれからの新聞のありようを考える上で参考になりそうなことも含まれている。



  長くなった記事

 調査の対象になったのは発行部数六万部から五十四万部程度の中堅地方紙十紙。一九六三年五月、九月、六四年一月からそれぞれ一週間分の新聞を選び、三十五年後の九八年および九九年の同月の新聞と九十九の項目について比較、対照している。
 何よりも目につくのは、新聞の顔である第一面の表情の違いだ。三十五年を隔てた新聞の写真を見ると、いずれにも共通していることがある。カラー印刷になっていること、写真の占めるスペースが格段に大きくなっていること、新聞の題号や見出しも大きくなり、かつて八段組みだった紙面が六段組みに変わっていることだ。
詳細を紹介する紙数がないが、主だった結果には次のようなものがある。
 @三十五年前に比較して、記事掲載の紙面が約二倍に増えている(ただし活字が大きくなっていることなどのため、実質的な記事の量の増加率はそれほどではない)A経済、スポーツ記事の比率が増えているのに対し、政治や国際のような硬派の記事の比率が減少している)B第一面には地元ニュースの比率が増え、国際ニュースの比率は激減しているC長い記事の件数が増え、短い記事が減っている――などである。
 ニュース全体のなかで経済記事の占める比率は七%から一五%に、スポーツ記事の比率は一六%から二一%にそれぞれ跳ね上がっている。経済ニュースやスポーツ・ニュースへの関心の高まりはうなずける。少し意外といえば、長い記事が増え、短い記事が減っていることだろう。第一面に載る記事一本の長さは、三十五年前の平均九インチ(約二三a)から現在は二十インチ(約五一a)へと二倍以上に伸びている。
八〇年代に登場した『USAトゥデイ』は、短く、簡潔な記事を売り物にして、発行部数で全米一、二を争う新聞にのし上がった。しかしこの新聞でも、九〇年代半ばから記事が少し長めになりつつある。この点、いまだに「記事を短く」を相変わらず合言葉にしている日本の新聞と、少し様子が違う。

 

 一面は「政府・政治」が主役

第一面の変化にも興味深いものがある。第一に、記事の本数が一日平均、三十五年前の十二本から五本に減少したこと、第二に、読み物記事の比率がかつての一〇%から二〇%に倍増したこと、そして第三に、内容別では「政府」関係の記事が全体の二三%で最も多く、「犯罪」(一二%)「経済」(一一%)がこれに続いていることだ。「政府」「犯罪」については昔とほとんど変わらないが、「経済」は七%から大きく伸びている。ただ「政治」の七%と合わせると「政府・政治」が依然として第一面の主役であることがわかる。
際立っているのは、第一面の国際ニュースの比率が二〇%から五%に落ち込んでいること、逆に地元ニュースが四一%から五五%に増加していることだ。これは九〇年代以降、顕著になったといわれる米国の「内向き」傾向を裏付けるものといっていいだろう。このほか一面の記事の執筆者に女性記者の登場する割合が七%から二九%に増えていることなども、報告されている。
こうした結果から見てとれることは、この三十五年ほどの間に米国の新聞が、視覚性を重視するようになったこと、硬派のニュースより軟派のニュースに報道の比重を移していること、そして地元ニュース優先の姿勢が強まっていることだ。これらは七〇年代から続いてきた紙面改革の結果でもあり、新聞が格段に読みやすくなったことなど評価すべき点も少なくない。しかし半面、読者の歓心を買うためにゴシップやスキャンダル中心の娯楽的要素の強い報道に傾いていったことも否めない。
ただ一つ興味深いのは、記事の長さが以前より長くなっていることだ。一時『USAトゥデイ』にあおられて新聞の記事を短くする動きもあったが、今回の調査結果は、新聞の編集者が(そしておそらく読者が)むしろ長い、詳しい記事を望んでいることを示しているように思われる。だとすれば、これはテレビやインターネットが幅を利かすこれからの新聞のあり方に示唆するところがあるように思われる。

 

 日本の新聞も変わった

ところで、日本の新聞についてこうした大掛かりな調査は行われていないが、今春、上智大学新聞学科を卒業する湯地英里さんの卒業論文に、日本の新聞について過去三十年の紙面の変化を調べた、面白いデータがある。『朝日』『毎日』『読売』の第一面を対象に、一九六八年から十年おきに九八年まで各年四週間の紙面を分析している。
三十年前に比べて現在の新聞の第一面が大幅に視覚性を高めていることは、米国の新聞と変わりない。カラー印刷され、写真のスペースが大きくなり、拡大文字が使われている。ただそれが記事にどのような影響をもたらしているか、数字で示されると、ちょっと考えさせられる。
記事の件数は、三紙とも十年ごとに減少している。三紙の記事件数の合計は六八年の       件から九八年には   件まで減っている。また一面トップを飾る記事の長さは、『読売』の場合、六八年二月には平均百二十行あったのに、九八年十一月の平均では八十七行しかないという(他の二紙も同じ傾向)。この間、一行十五字から十三字になっていることも考慮すると、両者の間の差はさらに大きくなる。
さらに一面全体の記事行数、字数を比較すると、あまりの格差に驚かされる。『毎日』の六八年二月の一週間での最大行数は五百十七行(七千七百五十五字)、九八年十一月の一週間の最小行数は二百二十五行(二千七百字)、両者の間に二倍以上の開きがある。情報量がある程度文字数に比例するとすれば、現在の新聞の第一面は三十年前の新聞の半分ほどしか情報を伝えていない、ということもできる。
第一面に掲載される記事の種類にもはっきり変化が表われている。三紙にほぼ共通しているのが「政治」「国際」に分類される記事の件数が減少していること、「経済」は八八年にいったん下落した後、九八年には上昇していること。また新聞によって多少のばらつきはあるが、「社会」「文化・スポーツ」に分類される記事も最近の方が三十年前より頻繁に一面に掲載されている。硬派の記事が、「経済」や軟派もの、それに写真や図表に押されていることも、この調査からは浮かび上がっている。
こうした目に見える第一面の変化は、米国の新聞にも共通していることだ。ただ米紙では長い記事が増えているといわれるのに対して、日本の新聞の調査では、そうした兆しはない。これをどう考えればいいのか。

 

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