ジャーナリズム改革と財団助成

2000年1月号


国のジャーナリズム改革を目指す「憂慮するジャーナリスト委員会(CCJ)」の活動の一つが、一九九九年夏、一区切りをつけた。二年間にわたり全米各地で二十回を超えるフォーラムを開き、ジャーナリズムが直面するさまざまな問題を問い直す議論を続けてきた。当初一年で終わるはずだった計画は、クリントン大統領のセックス・スキャンダルをめぐる報道が問題になったことから、大幅に拡大、延長された。
CCJの活動は「ジャーナリズム向上のためのプロジェクト(PEJ)」と称する非営利団体(NPO)のプロジェクトの一部だ。PEJではこのほかにも「米国の新聞の現状」を克明に見直す作業を進めており、すでにその成果がこの一年あまりにわたり『アメリカン・ジャーナリズム・レビュー(AJR)』に連載の形で公表されている。ローカル放送のあり方を検証するプロジェクトも同時併行で進められている。



  活動するNPO

米国ではPEJと同様、ジャーナリズムの質の向上やジャーナリストの教育・訓練、報道の自由や記者の保護などを目標に掲げて活動するNPOが少なくない。米新聞編集者協会(ASNE)やジャーナリスト協会(SPJ)、ジャーナリスト保護委員会(CPJ)などの団体や、米プレス研究所(API)、フリーダム・フォーラム、ショーレンスティーン・センター(ハーバード大学)などの研究教育機関をはじめとして、大小さまざまのグループがある。そしてこれらの団体の活動を支えているのが民間の財団などから提供される助成金やメディア企業などによる寄付だ。
PEJは、米国有数の民間財団「ピュー・チャリタブル・トラスト」の支援を受けて活動している。ピューはメディア事業と直接関係のある財団ではないが、九〇年代以降、地域社会活性化と民主主義の維持を推進する手立てとしてジャーナリズムの役割を重視し、その質的向上に寄与する活動を助成し始めた。九〇年代に入って論争を呼んできたシビック・ジャーナリズムと呼ばれる試みにも、ピューは支援を与えている。
フリーダム・フォーラムは米国最大の新聞系列グループ「ガネット」のガネット財団を母体として生まれたものだ。自らNPOとして、報道の自由の擁護、ジャーナリスト教育、市民のジャーナリズムに対する理解の促進などもっぱらジャーナリズムに関係する分野で活動している。
 


  メディア企業も積極的

この種の民間の財団が、ジャーナリズムに関わる研究、教育その他の事業にどの程度の規模で支援を与えているのか、全体像を正確につかむことはできない。米国の民間財団に関するさまざまな情報を集めている「民間財団センター」によると、財団のなかには助成している対象分野や団体、助成の金額などの公表を避けているものも少なくないという。
ただ筆者がそうした助成財団の一つ「ナイト財団」(米フロリダ州ジャクソンビル)から得た資料によると、ジャーナリズム関係のプロジェクトに助成を与えている財団の数は、先のピューやフリーダム・フォーラムを含めて三十四にのぼり、そのほとんどが新聞や放送などメディア事業の関連する財団やメディア企業であることがわかる。
この資料でもすべての財団の助成先や助成金額が明らかにされているわけではない。また助成先や金額が明示されている場合を見ると、これらの機関の助成先は社会福祉から地域活動、学術研究など広範にわたり、ジャーナリズムの分野はむしろそのごく一部に過ぎない。
主な財団の関連メディア企業の中には、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ダウ・ジョーンズ、シカゴ・トリビューンといった有力新聞社のほか、コックス、コプレー、スクリップス・ハワード、ナイトリダーなどの新聞系列などがある。ジャーナリズム関係の助成先としては、大学のジャーナリズム学部やメディア関連の研究所・活動団体などのNPO、さらにジャーナリスト教育のための奨学金や特定のテレビ番組制作プロジェクトなどもある。
これらの助成金がなければ、米国で現在進行中の数多くのメディア研究やジャーナリズムの向上を目指す諸活動は直ちに滞ることになるだろう。主要大学のジャーナリズム学部でも、カリキュラムの編成や学生たちの学費支援などに支障が生じる可能性もある。



 改革目指す動きなし

ここまで米国の事情を書き連ねてきたのは要するに、日本にはこれらに比較できるものが見当たらない、ということをいいたいがためだ。メディアの現場にジャーナリズムの改革を目指す企業横断的な動きもなければ、そうした動きを支援しようとする財団やメディア企業もない。
日本にもむろん社会への貢献、奉仕を目的とする財団は数多くある。その中にはジャーナリズムに関連する事業や活動に支援を与えているものもなくはない。しかし米国の場合に比べると、日本の事例は微々たるものでしかない。
ちなみに日本の民間財団に関する情報を集めている「助成財団センター」のウェブサイトで調べてみると、「新聞」「放送」というキーワードで検索できる財団は全部で十一件にすぎない。このうちNHKの外郭団体である「放送文化基金」の活動を別にすれば、他のメディア企業系財団の活動は、福祉厚生事業や文化事業など、比較的小規模のものが多く、ジャーナリズム関連の活動を支援している形跡はほとんどない。
企業の社会活動や寄付に関する考え方や伝統が異なる米国と日本を単純に比較することはできまい。税法上の違いも、日本の企業の助成活動を妨げている要因といえる。ただそれでも、米国のメディア企業に比べると、日本のメディア企業の、ジャーナリズムという仕事に取り組む姿勢に大きな違いを感じざるを得ない。
日本では、メディアで働く人たちがジャーナリズムの問題はジャーナリズムの内部で解決できると考えているように思われる。外部からの批判や注文に耳を傾けたり、企業の枠を越えて問題の解決策を探ったりする姿勢はあまり見受けられない。
ジャーナリストの教育・訓練を「社員教育」と同じようにとらえて、各社ごとに行っているのも、その一つの表れだろう。



  危機感乏しい日本

 もう一つ、米国との大きな違いは、ジャーナリストが個人の意思で参加する、企業横断的な団体がほとんど見当たらないことだ。「日本ジャーナリスト会議(JCJ)」は数少ない例外だが、その影響力は米国のASNEやSPJには遠く及ばない。これはおそらく、ジャーナリスト自身の間でさえ、その職業が特定の企業に帰属する仕事としてしか考えられていないからだろう。ジャーナリストが企業の枠を越えてジャーナリズムの価値を共有し、共通の問題意識に立てなければ、ジャーナリズムの改革を進めることは覚束ない。
 日本のジャーナリズムも米国のそれに劣らず深刻な問題を抱えている。最近の一連の「不祥事」一つ取り上げても、それははっきりしている。それなのに、現場のジャーナリストが危機感を口にするのを、あまり聞くことがない。
 CCJは、米国ジャーナリズムの「危機的状況」を指摘する発起人の呼びかけに応えて発足した。これに参加した現場のジャーナリストや研究者は現在までに千二百人を超えた。日本のジャーナリズムがいま、問題の深刻さに気づいてさえいないとすれば、メディアと市民の間の深い溝は今後深まりこそすれ、埋められることはありそうにもない。

 

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