銃乱射事件と新聞の娯楽化

NHKラジオ第二放送(1999年4月25日 午前零時半)

 


 

 今週の主だったニュースのなかで最も衝撃的だったのは、アメリカ・コロラド州の高校で銃の乱射事件があり、生徒ら十五人が死亡し、さらに十数人が負傷した事件でした。犯人はこの高校に通う十七歳と十八歳の二人の少年で、事件のあと現場で自殺していたのが見つかったということです。
 
 銃を使った犯罪が少しも珍しくないアメリカでも、さすがにこの事件は大きな波紋を呼んだようです。日本の新聞も21日の夕刊と22日の朝刊で、いずれも大きく紙面を割いてこのニュースを報じていました。ニューヨークやワシントン、あるいはロサンゼルスから現地に記者を派遣して取材、報道に当たらせたようでした。どの新聞も、事件の概容だけでなく、銃が事実上、野放し状態にあるアメリカ社会の事情や、犯人の少年たちにかかわるエピソードなど、事件の背景についても一通り触れていました。

 しかしいくつかの新聞を読み比べても、なぜこの二人の少年がこれほどひどいことをしでかしたのか、納得できる説明は見出せませんでした。彼らが、人種差別的な言動をする特殊なグループに属していたとか、仲間からいじめられたことがある、とかいったことは、要因の一つとしては考えられるかもしれません。しかし、学校にたくさんの爆発物を仕掛け、用意した自動小銃で何十人もの仲間を殺傷するといった行為を、それだけで説明することは到底、できそうにありません。

 といって、いまの段階で、現場からの報道が不十分だったというのではありません。事件直後の混乱した現場では、情報が不足したり、矛盾した見方が入り乱れたりしても、ある程度仕方のないことだと思います。ただ、読者の立場で言えば、外国での出来事とはいえ、なぜこんな事件が起きたのかという疑問に、多少時間がかかっても、それなりに納得できる説明を新聞の報道に期待したいと思います。この種の衝撃的な事件が起きると、新聞に限らず、メディアは大きな紙面と時間を割いて報道します。しかしえてしてそうした報道はその時限りの騒ぎで終わりがちで、騒ぎが一段落すると、あらためて振り返られることもないというのが、おおむねニュース報道の常ではないかと思います。

 今回の事件のように、事件当初の取材では十分に説明し尽くせない問題があれば、時間をかけてできる限り真相に迫る努力をし、その結果をあらためて読者に伝えてほしい、と思います。初期の報道だけでは納得できない、説明がわかりづらい、と考える読者を消化不良のまま置き去りにしないで、もう一度、問題を取り上げて検証する、といった報道の仕方が、これからの新聞にはもっとあっていいのではないでしょうか。
 この銃乱射事件の報道で、もうひとつ、気になったことを指摘しておきます。それは事件現場の様子や犯人像を伝えた情報が、それぞれの記事の筆者が直接取材したものなのか、それとも現地のテレビや新聞、あるいは通信社が伝えた情報に基づくものなのか、はっきりしないものがあったことです。現場に派遣された日本の記者がこの種の取材をする場合、どうしてもある程度は現地のメディアが伝える情報に頼らなければならないはずです。その場合、どの部分が現地報道を参考にしたものか、どの部分がそれぞれの独自の取材に基づくものか、読者に分かるようにはっきりさせておくべきでしょう。今回の新聞報道を見ると、「地元テレビによると」とか「一部の報道では」といった言葉が部分的に挿入された記事もありましたが、地元のメディアによる報道を引用した部分と記者独自の取材に基づく部分の区別が、必ずしも明確でないものが多く見受けられたように思います。これは読者が情報の信頼性を判断するうえで大事な手がかりになることなので、あいまいにしないよう希望します。
 
 衝撃的な出来事とは別に、この一週間の新聞の紙面で印象に残ったことといえば、朝刊、夕刊を通して新聞の第一面にスポーツ関連のニュースや写真が繰り返し大きく扱われていたことです。サッカーの世界ユース選手権で日本チームが準決勝、さらに決勝に勝ち進んだニュースはほとんどの新聞で第一面に写真付きで取り上げられていました。決勝進出の記事は夕刊の一面トップに掲載していた新聞もいくつかありました。またプロ野球オリックスのイチロー選手が1000本安打達成の最短記録を作ったニュースも、やはりほとんどの新聞が写真付きで朝刊の一面に載せていました。このほか、ボストンマラソンでの有森裕子選手の3位入賞や、西武ライオンズの松坂投手の高い人気なども、第一面のニュースとして大きな写真とともに紹介されていました。

 スポーツ関係の記事や写真が新聞の第一面に掲載されることが、珍しいわけではありません。しかし私の受け止め方に間違いがないとすれば、スポーツ・ニュースが、スポーツ紙ではない一般の新聞の第一面に載る頻度は、10年、20年前に比べるとはるかに高くなっているように思われます。かつては新聞の第一面は、政治、経済、国際といった、いわゆる硬いニュースで占められることが多かったのですが、最近はスポーツをはじめ、軟らかい話題ものなどがほとんど毎日のように掲載されるようになっています。

 新聞の第一面が軟らかくなる、つまり読者にとって親しみやすくなる、ということは決して悪いことではありません。若い読者の新聞離れを食い止めるために、必要な工夫のひとつといえるかもしれません。しかしそれも度が過ぎると、かえってマイナスに作用するのではないかと、気になります。スポーツ関係の記事や写真が第一面に頻繁に登場すれば、その分だけ、そこに掲載されるはずであったほかの記事が犠牲にされているわけで、本来伝えられてしかるべきニュースが伝えられないままに終わってしまう心配があるからです。

 こうした傾向は、新聞全体が娯楽的な傾向を強めていることのひとつの表われだと、私は考えています。新聞を読者に親しみやすいものにしようという努力は、今後とも続けてほしいと思います。しかしスポーツや芸能関連の記事を多く扱うこと、言い換えると娯楽的な要素が強いニュースを多く伝えることが、新聞を親しみやすくするための唯一の方法だとは、私は思いません。ましてそうすることによって、どうしても伝えなければならない、あるいは読者の側から見て伝えてほしいニュースが十分に伝えられない、ということになれば、新聞本来の役割を弱める結果につながる心配があります。それはいずれ、新聞に対する読者の信頼を失わせることになりかねないと思います。
 スポーツに関連する話題で、もう一つ、西武ライオンズの新人、松坂投手をめぐる報道について触れておきます。松坂投手は21日夜、今シーズン三度目の登板をしましたが、味方の打撃が振るわず、2点を失って敗け投手になりました。翌日の新聞はどれをとってもみな松坂投手に同情的な記事を載せ、文字どおり「松坂かわいそう」という大きな見出しを使ったところもありました。逆に西武打線を零点に抑えた相手チームロッテの黒木投手については、おざなりに触れたとしか思えない扱いでした。

 松坂投手が甲子園のヒーローであったこと、プロとして話題の新人であることは十分認めますが、それにしても、松坂投手をめぐる最近の新聞やテレビの報道のしかたは、あまりにも偏り過ぎているように思われます。松坂投手が登板する試合では観客の数が大幅に増えるそうですから、その人気の高さは確かにたいへんなものなのでしょう。ただこれも、新聞が「松坂伝説」などという見出しをたてて人気を煽っている側面があることも否定できません。新聞やテレビが、安易に松坂人気を利用しているような印象さえ受けます。野球にそれほど強い関心のない私などは、松坂投手一人で野球をしているわけじゃあるまいし、などと思ったりもします。

 もっとも、スポーツの報道に公平だの公正だのといった物差しをあてようとすることのほうが、おかしいのかもしれません。ただ新聞が、いわゆるスポーツ紙のような、娯楽本位の情報を伝えるメディアではないというのなら、せめてもう少しバランスのとれた、冷静で公正な報道をしてもらいたいものだと、私は思います。#