今できることを考えた夏休み―たまには立ち止まることも大切

幡谷則子

皆さんこんにちは。15年ぶりに「コロンビアに行かない」8月を過ごしています。30年以上通い続けたコロンビアは私にとって第二の故郷となりつつあります。1998年と2005年を除き毎年8月はフィールドワークに出かけていました。ここ数年は、ボゴタで短期研修プログラムも始まり、イスパの学生さんたちと過ごす機会も一気に増えました。1980年代末にボゴタで大学院生活を送ったとき、アジア人学生が稀有であったことから考えると、これは画期的な変化です。

「可視化」ということ

チョコ県は、スペイン植民地時代、「王様の鉱山」(mina real)で金の採掘をするために、アフリカから奴隷が労働力として投入され、鉱山を中心に町が建設されていった地域です。今もこうした人々の末裔がコミュニティを形成しており、人口の9割はアフロ系の人たちです。奴隷制が廃止されたのは19世紀半ばですが、その後も自由市民となった奴隷の末裔たちが集中する地域に対する国家の支援はほとんどありませんでした。チョコ県はコロンビアで最も貧しい地域で、安全な飲料水、医療サービスを始め、公共サービスが質量ともに不足しています。今、世界中のいたるところで「コロナ感染と経済危機」を前に、日常生活も「命」も脅かされていますが、チョコ県はコロナ禍の到来の前から、貧困と暴力によって命の危険を抱える地域でした。

“Sin paro o muerte, el Estado nunca nos escucha.”(「『市民スト(paro cívico: 市民の抗議行動)』か死亡事故がないと国家は私たちに注意を払ってくれない」)。ある日アフロ系コミュニティリーダーの一人から冗談まじりに言われたこの言葉に、私は衝撃を受けました。

「可視化」、「見える化」という言葉がごく普通に使われるようになって久しいですが、10年前、「visibilizar=可視化する」という表現にはぎこちない響きがありました。「幽霊でもあるまいし、存在するのに『見えない』ってどういうこと?」などと思ったものです。しかし、チョコ県だけでなく、そのほかの地理的にも「辺境」と表現するにふさわしい土地に生きる人々と話をしてみると、国家から見放され、その存在すら否定されてきた人々は、「可視化」のために自分たちで働きかけなければならないのだ、ということが少しずつわかってきました。

相手を思って行うリスク管理

イスパニア語の表現で “pensar dos veces”(二度考える)という表現があります。何か行動する前に逡巡したり、その行動の是非を熟慮する場合に用います。チョコ県だけでなく、例えばボリバル県南部の鉱山村に向かうとき、あるいは首都ボゴタからバスを乗り継いで丸一日かけてたどりつくサンタンデール県の山村に向かうとき、私は今本当に行くべきか、道中一人で行き着く自信はあるのか、などと迷うことがしばしばありました。それでも、訪れる先に知り合いがいて、その人が「大丈夫、待っているから」と言ってくれることに励まされて訪ねていったものです。キブドーへのフライトは、3回に1回くらいしか時間通りに飛びませんでした。同じくチョコ県のコンドートという町に小さなプロペラ機で到着したとき、待っていてくれるはずの現地のリーダーが二日酔いでつぶれて現れず、立ち往生したこともありました。それでも、必ず手を差し伸べてくれる人がいました。辺境地ほど助け合うことが必要だということを皆わかっていたからかもしれません。

当時の私は、現地で協力者に同行してもらってフィールドに行く、あるいは必ず信頼のおける誰かにピックアップしてもらう、ということで、「自己防衛」(リスク管理)をしていると思っていました。今よりもはるかにコロンビアの、特に地方での治安問題が厳しかったところの話です。「郷に入っては郷に従え」の言葉どおり、「現地ではその地のローカルな人々の言葉に耳を傾け、その助言に従うこと、彼らとのネットワークが命綱」というのは今も変わらぬ原則だと思っています。ですが、それは自分の身を守ることだけではなく、そうすることで相手の身の安全も保障することになる、ということに気づくようになったのは、ここ10年くらいのことです。今、「エチケットマスクは他者の安全への配慮でもあるのだ」と言われていることと少し似ていますね。意外に私たちは知らない国によそ者として入るとき、自分の安全管理ばかりを気にして恐々とするのですが、実はよそ者が相手に与える様々な影響には無頓着であることが多いのです。

チョコ県を流れるアトラト川(Río Atrato)の護岸(malecón)。「キブドー(Quibdó)」のロゴがある。この町の観光スポット

「また今度来よう」という気持ち

長年のフィールドワークを通じて、学んだことは沢山あります。そのひとつが「強迫観念にとらわれないこと(no obsesionarse)」、すなわち、はるばるコロンビアまで来たのだからといって、この機会にあれも、これもとすべてをやろうとしない、ということです。人間「あと1日しかない」と思うと、つい無理をしがちです。もちろん絶好の機会を掴むか失うかの違いは大きい。「あのとき、ああすればよかった」と後悔しても「あの瞬間」は二度と戻ってはこない、というのも事実です。

2年間の長期滞在の機会を得たとき、最後の2か月は猛ダッシュでした。あれもやってない、これもやらなきゃ・・・という心境だったのでしょう、帰国の1か月前に不注意から転倒し、その後遺症の腰痛をかかえつつ泣き泣き荷造りをしたのを覚えています。この経験から、いつも調査の終盤に、積み残しを前に焦る気持ち、強迫観念に襲われるときに、私は次のように思うようにしています。「コロンビアは逃げない、また来よう」と。

そういう気持ちで毎年コロンビア詣でを重ねてきました。2006年からはそれまで行っていた首都ボゴタでの調査が一段落したのと同時に、「大都市圏だけ見ていてもコロンビア社会は理解できない」ということに気づき、地方、しかもなかなかアクセスが難しい辺境地を歩くようになりました。その当時はまだ紛争の爪痕に苦しんでいた地域ばかりでした。ボゴタの周辺部の貧困地区(barrios populares)にたどり着くのも一苦労でしたが、地方の農村、山村、漁村、鉱山村はさらに往路だけで何日も費やす必要がありました。ここ数年は、「(体力的にハードな)こうしたフィールドワークをあと何年続けられるだろうか」という疑問が頭をよぎったこともあります。昨年久しぶりに訪れたチョコ県では、旧友たちに暖かく迎えられ、大いに力づけられたので、「またここに来よう」という気持ちになりました。

美しい夕焼けに染まるアトラト川

今できることを

ところが、コロナ禍で当面コロンビアへは戻れそうにない事態となりました。自粛期間には、こうやっているうちに私の筋力も体力も衰え、このままもどれなくなってしまうのではないだろうか、という焦りにとらわれた時もあります。

そこで、この夏休みは「今できることをしよう」と気持ちを切り替えました。またいつかフィールドに戻れるときに備えて、これまで「積(つ)ん読(どく)」になっていたものを読む、「文字化しなかった調査資料を紐解く」ことにしました。いつもそばにあったのに放っておいた事柄に戻ってみると、そこにはとても豊かな世界があったことに改めて気づかされます。私はこんなことも見ずにやみくもに現地で走り回っていたのだろうか?と反省させられることも多々あります。そして、毎日、なんとなく後回しにしてしまってきたことを1つ手掛けることにしました。苦手意識のあるものの克服です。そうやってみると、小さなことでも新しい学びがあることに気づきました。

数十年前と比べて、海外へはとても気軽に、そして簡単に出かけられる時代になりました。皮肉にも、てらいなく海外に出かけられる時代を迎えた今、私たちはほとんど身動きできない状況にあります。「また来よう」ではなく、「いったいいつになったら出かけられるのだろう」という新たな焦りにさいなまれる日々を過ごしています。

皆さんも同じ気持ちでいることでしょう。1年生は、緊張と期待に胸膨らませていたのに、今もってキャンパスにさえ入ることができないと鬱々としているのではありませんか。2年生はこれから留学や研修にアプライしよう!と思っていた矢先に出鼻をくじかれたと思っている方も多いでしょう。3年生には、すでにスタンバイしていた留学やインターンシップの計画をあきらめざるを得なくなって落ち込んでいる方も少なくないはずです。4年生は、このような状況下で社会人になることに不安を抱えているかもしれません。みんなそういう一連のフラストレーションや焦り、苦しみを感じていることでしょう。

でも皆さんはまだまだこれから!焦らずに、今できることに集中し、それを「またいつか自由にはばたける日がくるまで」温めておきましょう。その瞬間がきたらいつでも動けるように準備しておこう、という気持ちになったら、きっと毎日が楽しくなるのではと思います。

「人間立ち止まってあたりの風景を見ることも大切。急いで前ばかり見ていると大切なものを見失ってしまう。」これは、私が社会人になってあれもこれもと必死になっていたときに、かつての恩師からかけられた言葉です。今になってこの言葉の意味が身に染みてわかるようになりました。皆さんも、焦ったり悩んだり、不安になったとき、この言葉を思い浮かべてみてはいかがでしょうか。