Berlinの憂鬱とBerlinの喜び

岡本郁也

 僕は上智大学3年のドイツ語学科の岡本郁也。現在ベルリンのベルリン工科大学に交換留学生として来ている。

 初めのころは、いわゆるWGという形でベルリンの比較的治安のよい南の方に住んでいた。僕の大学ではBuddy制度というものがあり、今年9月からSophiaに来る子が僕のサポートをしてくれることになった。彼女はとても親切で、色々な諸手続き(保険や学校へ提出する書類、住民登録、VISAの申請など)や、色々な遊びに誘ってくれて、また大学付属の語学学校にSommersemesterが始まるまでの3週間通わなければならなかったので、とても充実していた。もちろん宿題もでるのでそれをこなしながら、バディーとでかける生活を送っていた。WGの同居人たちともそこそこうまくやっていたと思うが、あんまり何を使ってよくて、何を使っていいかわからなかったので、僕は一回もキッチンをつかったことがなかった。はやく引っ越したいと思っていた。結局五月のはじめにアパートに移った。

 そこは確かにインターネット、料理道具などすべてそろえなければならなかったが、個人的に一人部屋で誰にも干渉されずに、気にせずに過ごせる環境はとても楽だった。しかし、同時に一人暮らしになったので時々さみしさも感じる。ここで学んだことは一人で食べるごはんより絶対に誰かと一緒に食べるごはんの方がおいしいということだ。しかし住んでいる場所は田舎からベルリンのど真ん中に移動したので、とても過ごしやすい。歩いてすぐの場所にSonyセンターがあったりととてもいい立地である。

 そしてドイツ語コースが終わると2週間ほど休みをもらった。しかし、2週間の間なにかをしていたかというと何をしたというわけでもなく、バディーも旅行にいってしまったため、留学生の友だち同士でずっとからんでいた。もちろん基本的に留学生同士で話す時はドイツ語で話していることの方が最初は多かった。

 そしてSemesterが始まりいろいろ授業にいってみたりしたものの、全然理解できないので結局授業をとるのをやめるという結論になった。そしてとうとう自分で自主的にとったアルティメットフリスビーと語学コース以外は授業がなくなってしまい、焦って、Humboldt Universitätの先生に連絡をとり、Japanologieの翻訳の授業に参加させてもらうことができた。その授業自体はとても面白くて漫画を日本語からドイツ語に翻訳したりする面白い授業である。そしてこのころやはり授業も始まってしまっていたので、Buddyと会う時間も限られていまい、またやはりドイツ人といるよりも同じ留学生同士でいることがすごく増えたし、その留学生同士での会話は基本的に英語しか話さなかったので、ものすごい焦りが生まれ、勢いだけで時間も限られていまい、またやはりドイツ人といるよりも同じ留学生同士でいることがすごく増えたし、その留学生同士での会話は基本的に英語しか話さなかったので、ものすごい焦りが生まれ、勢いだけでHumboldt大学のJapanologieの日本語の授業に行き、タンデムになってくれる人はいませんか?という我ながら特攻隊のとはまさにこのことと思いながら突撃した。そしてそこで2人のタンデムパートナーをみつけることができた。

 そして留学生同士で仲良くなり、毎週末行われるパーティーにいきすぎてパーティーピーポーと呼ばれるまでになった。そのパーティーピーポーであった当時、Berlinのあまち治安のよくないKreuzbergの方にクラブにいったことがあったのだが、その道中一緒に歩いていた友だちのポケットから携帯を後ろのひとがとるのをちょうどみてしまった。もちろんその時は取り返すことができたのだが、そういうことが普通にある街に普通に来ていたこと考え、そして今でも少しトラウマ的な感じでそこに行くのを昼間でも控えるようになった。しかしやっぱり、KreuzbergがBerlinの中心地であるというのは否定できない。

 また、久々に会ったBuddyからドイツ語すごく上手になったと褒められたり、友だちが遊びに来て、ドイツ人同士の会話を通訳できるぐらいには成長したので今は3か月目だが、自分のドイツ語の向上が実感できたのがとてもうれしい。初めのころは本音を言うと早くBerlinからでたくて、他の地域に留学していった子たちの話をきいてとても羨ましかったが、僕は今Berlinでよかったと思うし、最近は留学生活も楽しくなってきた。ただ一ついえるのは、Japanologieがある大学の方がおそらく暮らしやすいということだ。

okamoto