パーダ―ボルンでの6か月

三竿佑莉

こんちには!ドイツ語学科2年の三竿佑莉です。私は、2月までパーダ―ボルン大学で在外履修として勉強し、三月から半年間ハイデルベルク大学で交換留学をしています。引っ越しと在外履修テスト準備でしっちゃかめっちゃかなここ最近ですが、とても区切りのいいタイミングでこのブログを書く機会をいただけたので、自らの在外履修を振り返ってみたいと思います!

まず、なぜ留学したかったのか、理由から振り返ると、単純に言葉への興味でした。自分にとっての「外国語」が「母語」として話される場所で生活してみたい、というのがそもそものきっかけです。もともと「言語」自体に面白さを感じていた私は、語学やそれに関する勉強は、自分の興味に基づいているものでした。
だからか、私は、ドイツにくる留学生は専門としている学問だけでなく、ドイツにも興味があって、またドイツ語も自分の意思でやっているというような先入観がありました。
しかし、私のクラスメートは、そのような人は一部にすぎないと気づかせてくれました。
在外履修ではドイツ語の授業を履修することが必須なのですが、それとして私はDSHコースを履修しました。これは、ドイツの大学で正規生として勉強したい外国人が受けるテストの、準備コースのようなものです。そのため受講生は、フランス、スペインを始めとしたEU圏、韓国、アメリカなどからの学生が大半をしめる交換留学生と違い、イラン、ロシア、モロッコやシリア出身の人たちなどがほとんどで、私のような留学生はクラスに1、2人でした。彼らの中で、ただドイツが好きで興味があるからドイツに来たという人は少なく、その先ドイツで職を見つけ、生活することを見据えた上で、ドイツの大学でマスターを取得するという覚悟を持った人、よりよい生活のためにはドイツに来るしか選択肢がなかった人が多数でした。

私は、毎日午前中みっちりの授業と、テストへの緊張感から生まれたクラスの一体感のおかげで仲良くなったクラスメートや、ドイツ定住を考えているイタリア人のタンデムパートナーと、ほとんどの時間を共に過ごしました。彼らと一緒にご飯を作ったり、出掛ける中で、「ゆりは恵まれてるよ。」「なんでドイツに来る必要があったの?」と言われることもありました。その言葉の背景にある、彼らの故郷や自身の状況を聞き、些細なことから滲み出る考え方や行動の違いに直面することで、いやでも私は日本で育った日本人だ、と次第に自分を改めて認識し、考えるようになりました。また、相手のことを決めつけるばかりでは何も知れないこと、相互に知るための言語の必要性、同じ国出身でも民族や母語が違うこと、〇〇語を話す人=〇〇人でも、〇〇に住んでいる=〇〇人でもないということ(そもそも〇〇人という言い方にも難しさがあるように思えます)。当たり前のことですが、ようやくそこに実感が伴い始めた気がします。

この半年は、言葉はきれいで不思議な大事な文化だ、と考えていた私にとって、いやでもツールとしての言語を考えるきっかけとなるものでした。また、言語をただ文化として捉え、外国語をいうなれば興味で学ぶ私がいかに恵まれているのか、客観的にみる機会でもありました。もちろん、金銭的にも物質的にも、日本にいる私は比較的恵まれているようにうつることも多いと思います。しかしそれ以上に、選べる可能性にも恵まれているのではないでしょうか。

もちろんドイツ人とも知り合い、仲良くなり、様々な経験をすることができました。しかし同時に、在外履修の目的とは外れてしまうかもしれませんが、「これからドイツの移民となるかもしれない人」という、ドイツのタイムリーな部分により触れられたことは、私にとってとても貴重でした。それを通して移民問題だけでなく、自分について、考え直すことにもつながったので、ぎりぎりでDSH受講を決断した半年前の自分をほめてあげたいです。

ここから半年、いよいよハイデルベルクでの勉強がはじまります。正直、自分の勉強したかったことに新たな選択肢が加わり、迷いが生じています。でも、それすらも楽しんで、また振り返ったときに「よかった!」と思えるような毎日を目指します!

お別れパーティにてとったクラスメートとの写真

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タンデムパートナーと。
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