グラーツでグラ〜つく望郷の念

三又拓武

こんにちは、三又拓武と申します。
僕は今、グラーツという町にいます。
グラーツはいいところです。
オーストリア第二の都市でありながら、そこまで都会的なわけではなく、人と人との距離の近さを感じます。
そしてこれはグラーツに限ったことではありませんが、統一感のある歴史的な街並みは本当に美しく、眺めているだけでほっこりします。
中心街の規模がそこまで大きくないので、買い物や観光もしやすいです。
快適さで例えるなら、グラーツは猛暑日の冷房の効いた部屋。

今でこそ順調に暮らせていますが、滞在当初から全力で楽しむというわけにはいきませんでした。
グラーツに来て間もない頃は、非常に心細かったことを記憶しています。感受性が低下して、楽しみにしていた綺麗な景観もあまりしっくり来ませんでした。
とはいえ、いくら孤独感や漠然とした不安に苛まれていようと、生きていくためには生活環境の整備が必要不可欠。そこで少しずつ物を買い揃えたりはするのですが、気乗りしないので一々体が重い。あまっさえ大学の説明会や週5日の学期前ドイツ語集中講座も疾風怒濤のごとく始まり、あれもやらなきゃこれもやらなきゃと、大分あっぷあっぷしてしまいました。
余計に気を滅入らせたのは、他の国から来た学生の語学力の高さ。大体の留学生は、英語だけでなくドイツ語もすでにかなり流暢に話せるのです。英語は国際言語だし仕方ないとして、ドイツ語はこれからみんな一緒に勉強していくはずじゃ??抜け駆けしたのはドイツだ?
そして授業外の留学生同士の会話は英語中心。
僕は英語も全然できませんし、何より人見知りでしたから、大勢の会話ではひたすら黙りこくって聞き役に徹する他ありませんでした。
このように小さなストレスが色々と積み重なって、なかなか気分が晴れ切らないのです。僕は事前に交換留学プログラムにも登録して、滞在期間を計約1年に延長していたのですが、それも少し後悔する始末。長距離走の初っぱなで息切れし始めたような絶望感です。
「とりあえず滞在期間中は寮に籠もって勉強だけして、留学を乗り切る上で最低限必要なドイツ語が話せればいいや」とかなり弱気になりました。

けれど曲がりなりにも生きていくと、少しずつこの街の生活に自分を順応させることができました。活動範囲も広がっていき、街の中でこことここはこう繋がっていたのか、ここってこんなに近かったのか、と新たな発見があって、次第に街中の移動も苦にならなくなりました。
一旦慣れてしまえばこっちのもので、それからは着実に生活に彩りが戻ってきました。そしてすべての手続きを終わらせ、生活を軌道に乗せることができてからようやく、宴は始まったのです。

最初はバディぐらいしか現地の顔見知りがいなかった僕ですが、僕が来る半年前から既にグラーツに留学していた文学部の先輩に人を紹介してもらったりすることで、少しずつ一緒に遊んだりする仲間を増やすことができました。
僕は日本では友達の家で遊ぶことがあまりなかったのですが(誘われなかった)、グラーツでは週末などに大勢の友人とゲームパーティーをする機会にも恵まれました。何人かで映画館に行くこともありました。
友達と一緒にゲームしたり映画観たり、とても楽しいひと時。
リア充になるのに才能なんていらない!
日本に帰っても、普段から自分でこのように気軽な集まりを開くのもアリだなと思いました。

留学が始まってから半年。最初の頃の不安が嘘のようです。
今もドイツ語は周りの留学生には及ばないけれど、友達に助けてもらいながら、自分なりに成長することはできていると思っています。
大変なこともあるけれど、今はとても安らかに過ごすことが出来ています。あまりに居心地が良いので、グラーツは冬のコタツ!

1

ビフォー(自撮り)

2

アフター(友人撮影)