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ニュー・ノーマルで失われる感性の復活を

 

 

「若いうちに感性を磨け」とは、私が社会人新人時代によく言われた言葉です。同じ景色、風物、現象に遭遇しても、10代は全身全霊でその新しさを感じる、そして感動を表現できるもの。他方、年齢を重ねるたびに、人はおのずと「経験値」というものが脳に堆積され、それが感情や体感に「新しさ」として伝わらなくなってゆく、だから感性が鈍化するように思います。学生たちの「わくわくしますね!」だの、「超~~です!」と感情を露わにするのを見ると、時々、羨ましいような、眩しさを覚えることがあります。

学生時代をこの学び舎で送っている皆さんは、まさにそういった感性を磨くべきただなかにあり、キャンパスを飛び出して、のびのびと自分の感覚に訴える瞬間を謳歌してほしい、と常々思ってきました。ところが、ここ1年半、コロナ禍というこれまで経験したことのない壁にぶつかっています。

世間ではさかんに、「ニュー・ノーマル」だとか、「with/afterコロナ」の新しい生活様式を打ち立て、この閉塞感を打破しようと躍起になっています。コロナ禍でのリモート様式の活用によって、私たちは安全と便利さを手に入れました。私たちはかけがえのない情報技術革新の恩恵にあずかっている、といえるでしょう。しかし、他方で、このNew Normalが私たちの五感を失わせてしまったのも事実です。

五感とは、目、耳、鼻、舌、皮膚の5つの器官を通じて外界の物事を感ずる視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を指します。視覚と聴覚はリモートでも保たれますが、他の3つの感覚はリモートでは感じ取ることができません。また、視覚聴覚は健在とはいえ、実際に書物に印刷された文字を紙の上でなぞる(目で追う)ときの脳の働きと、面で一度に視覚に飛び込んでくる文字情報に対する脳の働きは異なるのです。これは板書をしている教員の手と文字を目で追いながらノートに書き写し、頭に叩き込む情報と、パワーポイントのスライド一枚を「スクショ」して頭に瞬時にイメージとして取り込む情報の定着度が異なるのと同じです。聴覚にしても、一方的に外部から降り注がれる音と、自分で目を閉じて「耳をそばだてる」という感覚とはまるで異なります。さらに、困ったことにイヤホンをつけ続けて音を流し続ける結果、難聴の発生リスクが高まってきました。

便利になって情報が効率よく吸収される一方で、私たちの器官系統が侵されてゆくことはなんとも皮肉な現象です。さらに、コロナ感染によって味覚や嗅覚も失われるリスクに今私たちはさらされています。

では最後に残った触覚は?と考えると、ソーシャル・ディスタンスを保つために、エア・ハグなどという新しい行動様式が現れ、「触ること」自体がご法度の領域になりました。肌感覚とも言いますが、マスク常備を必要とされる今、皮膚呼吸や額の汗、頬を伝う涙、といった表現さえ封印されてしまったような錯覚にとらわれています。

ではこうした五感を発揮できなくなった現在、どうやったら「感性を磨く」ことができるのでしょうか。もちろん、感染対策を十分に行い、一人でいられる時空の中で思う存分行動することも可能と言えなくもありません。でもこれはなんとも想像力に欠ける考えではないでしょうか。

人と人との、異なる文化との、異なる風土とのふれあいの中で私たちは感性を磨くことができます。それは多様性、自分とは異なる発見、そういう異質なものとの遭遇から刺激を受けるからであり、自分にはない異なるものを知ろうとする、自分のことも知ってもらいたい、そのためにお互いを知り合おうとする、だからコミュニケーションの力も蓄えられるし知識の幅も広がるのです。そして、自分とは違う行動様式、感情移入、価値というものがこの世の中にあることを知り、お互いを尊重することを学ぶことで、自分自身の、今はやりの言葉で表現すれば「人間力」を高めることができるのです。

直接こうした出会いを体験することができない今、私がこの夏休み、皆さんにお勧めするのは書物の世界に浸ることです。なんだ、それは中高生の夏休みの課題図書と同じではないか、と思われたかもしれません。しかし、書籍(デジタル版ではない)に触れ、その紙の手触り、活字や文体、あるいは挿絵などを楽しみながら頁を繰る、書物を繙く、という行為は時間に追い立てられない今だからできる大きな贅沢だと私は考えます。

なんでもパソコンやスマホ一つで入手できる時代、私たちはついITやAIに依存する生活に飼いならされてしまっています。スマホの充電が切れたときや、家に忘れて手元にないとき、ものすごい焦燥感や不便さに苛まれたという経験は誰にでも一度や二度あるでしょう。ですが、それこそが、IT依存症を露呈したことの証なのです。すなわち、スマホという「外付けファイル」あるいはクラウドにすべて情報があって、自分の脳や手には何も役立つ機能が握られていないのです。この事実に愕然としませんか?

すべてアナログ生活に戻ることを推奨しているわけではありません。しかし、クラウドに情報を預けてしまったとき、自分の脳はどのように自分の心と知識、身体と感性とに指令を与えているのでしょうか。私は脳医学の専門家ではありませんが、技術の発展と便利さへの依存によって、本来持ちえた「脳の体力」と機能が衰え、あるいは歪んだ発展をしてしまっているのではと危惧しています。

長い夏休み、時にはすべてのAV機器から離れて、静かに書物と向き合い、ペンを取って紙に自分が得たインスピレーションを綴ってみてはいかがでしょうか。きっとこれまで忘れていた感覚が戻ってくることを「体感」できると思います。 (8月19日記)

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