大道芸人と物乞い
私市正年
 地域研究を志す者に求められる条件の一つに「日常生活に慣れ親しむ程の現地での生活体験」というのがある。確かにアパート−しかも庶民地区にある−を借りて1年ないし2年、生活をすると、対象地域の普通の顔が見えてくるようである。

 アメリカやヨーロッパの国であれば、日常生活は私たちの想像の範囲内のことが多いかもしれないが、中東や北アフリカのイスラーム諸国のそれとなると、不思議な出来事に出会い、退屈しないばかりか、ときにはびっくりするようなこともある。1991年の4月から1992年の3月までモロッコの首都ラバトで暮らしていて、そのことを痛感した。モロッコは一旅行者としてホテル住まいをしていると、それ程不自由を感じないので欧米とあまり変わりないような印象を受ける人もいるだろう。ところがモロッコも、住民の大部分はムスリム(イスラーム教徒)の国であり、彼らと一緒に生活をしていると、日常生活の中にイスラームの顔がしばしば見え隠れしていることに気づく。

 断食の月になると、夜明けから日没まで一切の飲食を断つ。私はムスリムではないので断食を守る義務はないのだが、同じアパートで暮らす以上、そうした慣習に配慮することは大事なことだ。朝9時過ぎに目が覚めると、もうその日の断食は始まっている。こっそりと朝食をとるわけだが、コーヒーの香りや料理の音が隣の家にもれやしないか、気にしながらの朝食になる。そのため、断食月のうち数日間はムスリムのように昼間、一切の飲食を断つこともあった。

 イスラーム社会では宗教上、貧者への施しが奨励される。そのため物乞いは多いし、また彼らの態度も堂々としている。ドアを遠慮しながらノックし、金銭や食べ物を乞う者もいるが、時には物乞いなのか、芸人なのかわからない来客に出会う。写真は、ラバトのアパートに滞在中にやって来た芸人風物乞い(あるいは物乞い風芸人)で、笛とタンバリンで歌いながらの一種の門付けである。彼らは、「とても明るいお乞食さん」である。

 アパートの前には共同の庭がある。7月21日、そこの囲いを建てるのに地鎮祭のような儀礼があったが、鶏の喉を包丁で切り、犠牲にささげていたのはとても印象的であった。このことをモロッコ人に話すと、誰もが「へー、そうですか」と言って不思議がるだけである。そのためこの儀礼の伝統は、私にとってまだ謎のままである。

 8月9日、友人の結婚式に招かれた。自宅前の空き地にテントを張り、楽団を呼んで祝宴(といっても酒はなしだが)をあげるわけだが、耳をつんざくばかりの大きな音楽とともに、明け方まで踊りまくる。踊らないのは新婦だけで、新郎も、新郎新婦の年老いた両親も、腰に帯びを巻いて踊る。もちろん友人たちは男も女も大騒ぎする。とても体力のいる「ハレの日」である。

 このように日記を整理しても、毎日が出来事ばかりであり、退屈しないドラマである。歴史学は文献の解読が中心であることに異論はなかろう。しかし、最近ではその歴史学といえども、フィールドワークの体験を「史料の読み方」にいかに反映させていくか、ということが重要な課題になっている。逆の意味で、フィールドワークが重視される人類学や社会学では歴史資料の活用はあたりまえのことになっている。史料も、フィールドワークも互いの欠落を補えば、その価値は倍増するからである。地域研究を志す者は、自ずとこのことを自覚し、実践することになるだろう。
close