写真屋の先生、奮闘する
赤堀雅幸
 人類学の調査者は、フィールドで「おまえは何をしにきたんだ」という質問に答えあぐねることがしばしばあります。 「あなたたちの暮らしのあり方を学びにきました」などという答えに納得してくれる、 人のよい住人たちに当たれば幸運といわなくてはなりません。彼らにとって当たり前である暮らしを (それは私たちにとっては当たり前ではないことに満ちているわけですが)学んでどうしようというのか、 と考えるのはしごくもっともなことです。

 そこで人類学者はうまい答えをひねり出そうとすることになります。「歴史を学びにきた。」 「イスラームの勉強にきた。」「アラビア語が上達したいんだ。」私もいろいろ考えてトライしてみましたが、 どれもぴったりきません。アラビア語にも「慣習と伝統」 (アーダート・ワ・タカーリード)や「文化」(サカーファ)といった言い方はあって、 それで納得する人もなかにはいるのですが、大半のごく普通の人たちにとって、 それらは今一つピンとこない生活のなかに生きていない言葉です。 しかも、人類学者がおつきあいしたいのはその「ごく普通の人たち」なのです。

 しかし、心配は御無用。一緒に過ごしていれば、何となくいるべき場所が決まってくるものです。 私の場合は調査の小道具であったカメラがおおいに役に立ってくれました。 ベドウィンの人々は親族や友人の写真をとても大事にします。調査の一環で写真を撮る度に、 お礼の気持ちを込めて撮った相手にも写真をプレゼントしているうちに、 こいつの仕事は写真を撮ることなんだなという理解ができあがっていったようです。 人類学の調査はたいていそんなものですが、私も調査に必要な写真が10枚に1枚撮れればよいと構えて、 できるかぎり皆の求めに応じて写真を撮っていました。 おかげで、ついたあだ名が「ウスターズ・ムサッワラーティー」。さしずめ「写真屋の先生」というところでしょうか。

 もちろん、本来の私の仕事を正しく理解してもらうということからいえば、手放しで喜べる状況ではありません。 それに、「写真」というモノ(むずかしくいえば表象)が調査のなかにもつ意味を考えれば、 それは慎重に考えなくてはいけないことです。でも、息せき切ってやってきた子供が「明日うちで結婚式なんだ。 お父さんが写真屋の先生に来ていただけって。」と、目を輝かして頼むのをみると、それはそれでよいかなと思えるのでした。
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