研究会報告

報告者:坂井 信三(南山大学人文学部・教授)
報告題名:「仏領西アフリカ植民地におけるクリスチャンとムスリム−イスラーム政策と宗教信仰のはざまで」



概要:
 19世紀、西アフリカではジハードによるイスラーム国家建設と、その後にフランスによる植民地化が進んだ。本報告は、そのような状況下で関係を築いたフランス人キリスト教徒テオドール・モノと、フルベ人ムスリムのアマドゥ・ハンパテ・バの宗教者間の交流に着目した。
 ハンパテ・バは、植民地下で「白人学校」に進んだのち、トゥクロールのスーフィーであるチェルノ・ボカールに師事し、内面的な信仰を重視し異教徒に寛容な姿勢を学んでいく。しかし、ボカールはハマウィーアという分派に転向したため排斥され、当時植民地政府内の役人であったハンパテ・バも反仏分子とみなされ、第二次大戦下で窮地に陥ったものの、セネガルのIFAN所長であったテオドール・モノに救われる。
 一方モノは、サハラのタランマセットの修道院で隠遁生活を送りムスリムに共感していったシャルル・ド・フコーから影響を受けた。プロテスタントであったモノは、セネガルでナチスの人種主義を強く批判する活動を行い、ヴィシー政権を拒絶した。
 この二人の交流は、ハンパテ・バがIFANへ論文を送ったことで始まり、窮地に陥った際に研究員の身分を与えられ安全を確保された。モノは彼に聖書を送ってパウロの「愛の賛歌」を紹介し、ハンパテ・バはボカールのタウヒードから引き出された宗教の普遍性という考えと共通するものを見出した。そして、ワッハーブ主義への対抗に使えると考えたムスリム事情調査局のカルデール大尉との共著で、ハンパテ・バはボカールの教えをフランス語で出版した。モノは、ボカールの教えをエキュメニズム(諸宗教一致運動)の文脈でとらえ、真摯な信仰に基づく宗教の共存を求めていく。
 ただし、彼らの思想は理念的なものであり多くの人に影響を与えることはなく、植民地をめぐる政治状況にも翻弄されることになった。

会場からは、エキュメニズムについて、当時のサヘル地域一帯で共通にみられるものであったという指摘がなされた。また、英仏による支配の仕方や教育・文化への対応の違いは、今日のボコ・ハラム運動などへの影響しているのではないかという質問も寄せられた。また、フルベ語や伝統宗教・ワッハーブ主義との関係についても議論が行われた。

文責:荒井康一(上智大学アジア文化研究所・客員所員)