成果公開

講演

シンポジウム「協調と融和のイスラーム―日本・中国・インドネシアの事例から」(2016年11月19日 上智大学)


【日時】:2016年11月19日(土)13:30~17:30
【場所】:上智大学四谷キャンパス2号館5階508教室
【プログラム】
趣旨説明:赤堀雅幸(上智大学総合グローバル学部教授)
講演1:新井和広(慶應義塾大学商学部准教授)「インドネシアとアラビア半島を結ぶ預言者一族の活動:聖者の『プロモーション』を通じて」
講演2:黒岩高(武蔵大学人文学部教授)「漢族から回族へ、回族から漢族へ:中国ムスリムの民衆文化と思想」
講演3:三沢伸生(東洋大学社会学部教授)「戦前・戦中期の日本にとってのムスリム:共闘と打算」
総合討論
 司会:赤堀雅幸
 ディスカッサント:
  岩﨑えり奈(上智大学外国語学部教授)
  澤江史子(上智大学総合グローバル学部教授)

【概要】
 本シンポジウムはSophia Open Research Weeks 2016の一環として学部生、社会人などを対象として行われた。冒頭、イスラーム研究センター長の赤堀雅幸氏より趣旨説明があり、近年イスラームは過激主義の側が注目されており、対立の局面ばかり強調される傾向にあるが、実際の社会生活や現代史の場面では協調や融和も広く見られたことを伝えるという狙いが示された。

新井和広氏発表
 新井氏の報告は、インドネシアにおけるアラブ出身の預言者一族の聖者たちによる宗教活動を、近年多くの地元住民を動員する「プロモーション」として捉えるものであった。市場経済の用語で考えることは、紛争や対立を固定化しかねない思想や政治といった視点から一線を画し、参加する宗教としてイスラームをみるために有効であるという。預言者の一族は、主に18世紀以降、南アラビアのハドラマウトからインドネシアに移住してきたが、彼らは近年宗教活動を活発化し、ハドラマウトへの非アラブ系インドネシア人の留学やハドラマウトからの宗教者訪問も増加している。そして、2014年に相次いでインドネシアを訪問したウマル・ビン・ハフィーズとサーリム・シャーティリーという2人の宗教学校の学長の事例から、高名な宗教者を招聘し、ロゴやメディアを利用したイメージ戦略をとることにより、2000年代にはハウル(聖者祭)が数万人規模にまで大規模化したことが、映像を交えながら示された。訪問の際には、元留学生がインドネシア語への通訳をしており、マウリド読誦会や在地ウラーマーのとのセミナーも開かれた。ハドラマウトや聖者に関連した書籍の翻訳や、雑誌の刊行も盛んにおこなわれている。宗教行事はインドネシアの各地で行われており、信仰心のみならず、食事や日用品などの現世利益、コミュニティ行事としての機能を併せ持ち、社会や日常生活の中でイスラームの存在が拡大すると同時に、イスラームが俗の文脈で扱われるようになり、社会と宗教の歩み寄りがみられるとした。フロアからは、インドネシア全体でみると聖者の活動は盛んになっているのかどうか、彼らの活動が過激化する懸念はないのかなどの質問がなされ、新井氏からは運動に熱意はあっても、政治性の観点からは彼らは穏健であるという回答があった。

黒岩高氏発表
 黒岩氏の報告では、中国における宗教建築・食文化・武術・書物における回族と漢族との文化交流史の模様が、多くのスライドを用いながら示された。回族は、ウイグル系などとは別に、交易やモンゴルの支配などを通じて中国各地に広がったムスリムであり、15世紀の鎖国以降は通婚などにより「中国化」し、漢語を話す人々である。モスクやマスジドは、中国語で「清真寺」と書かれ、その多くは伝統的な中国様式が採られてきたが、現在は西アジア風・伝統的中国建築の再現・中国風や近代建築と西アジア風の折衷など多様な形式がみられる。伝統的な寺院にも、木造ドームと道教的な八卦楼や四合院の組み合わせなど文化的融合がみられ、非ムスリムの「良いもの」を取り入れる柔軟性があったという。食文化においては、漢族に源流があるともされるハラール食の蘭州牛肉麺は、甘粛省出身のムスリムにより沿岸部の漢族にも食されるようになり、涮羊肉や八宝茶もムスリムを通じて中国各地に普及している。そしてハラールは安全というイメージも漢族の間に広まっているとした。また、武術においても八極拳や漢族を源流とする心意六合拳はムスリムから漢民族に広まり、査拳は長拳の一部として国際スポーツにまでなった。さらに、17世紀頃からイスラーム文献を漢文にした「ハン=キターブ」の中には儒学とイスラームの親和性を強調するものがみられるという。全体として、回族と漢族は盛んに文化交流が行われており、互いに影響し、取り入れあってきたことが示された。フロアからは、なぜ中国でイスラームがそれほど拡大しなかったのか、中国は中央アジアや中東などイスラーム諸国との結びつきの強化を狙っているのか、非ムスリムがマイノリティとなる地域で住民間の軋轢はないのかなどといった質問が出された。

三沢伸生氏発表
 三沢氏の報告では、戦前・戦中期において、日本とムスリムはむしろ共闘と打算という関係にあったと主張された。日本の軍部は、ロシア対策のためイスタンブルで諜報活動を進めており、日露戦争の勝利は列強の脅威にさらされる中東の人々に日本へ注目を集めるものであった。インド出身のバラカトゥッラーやエジプト人のファドリーは、日本を拠点として出版などの反英闘争活動をしたが、日英同盟を軸とする日本ではあまり成果があげられなかった。1909年に来日したタタール人のアブデュルレシト・イブラヒムは、伊藤博文やアジア主義者の頭山満や内田良平などの有力者と接触し、亜細亜義会の結成にも関わった。しかし彼の日本に対する期待は過剰で、留学生を送り込んだり山岡光太郎のメッカ巡礼に合流したりしたが、改宗したとされる大原武慶や山岡のイブラヒムへの反応は弱く、亜細亜義会も消滅するなど、同床異夢であった。三沢氏はまた、日本人改宗者の入信のあり方を「正統」「曲解」「逸脱」「欺瞞」の四つに分けて、田中逸平と有賀文八郎の著作から、彼らは神道や天皇を捨てきれず、他者に認められない「曲解な入信」や自覚のある「逸脱な入信」であったと指摘した。一方、タタール人は1920年代後半にクルバンガリーを中心に東京回教印刷所などを設立し、神戸モスクや東京モスクの建設にも協力し、一部は中国での「回教工作」にも関与した。対中浸出が始まると、大川周明の研究を中心に回教工作が本格化したが、大戦において中東諸国が日本側につくことはなかった。戦後は、中曽根首相による産油国への接近などの事例はみられたものの、日本におけるイスラームへの関心は薄れ、ふりだしに戻ってしまったという。フロアからは、文献に現れないだけで正統な入信もあったのではないかといった質問がみられた。

総合討論
 総合討論では、岩﨑えり奈、澤江史子両氏から個別の発表に対するコメントと質問に加え、全体に関する問題提起として、イスラームと他宗教ないしイスラーム内部の多様な思想が信徒の獲得を競い合うような「宗教市場」といった発想の可能性や、西洋を先進地域とした非対称的な関係としての近代に対して、グローバル化はそれを強化するのか相対化するのか、それはイスラームにどのように影響するのか、またイスラーム内部の文脈でのグローバル化のとらえ方などが議論の俎上に上げられた。会場からは、個別発表への質問に加え、穏健な良いイスラームと過激な悪いイスラームを分けて考えることはできるのか、今後の日本との関係はどうなるのかなど、多種多様な質問が提出され、活発な議論が交わされた。



文責:荒井康一(上智大学アジア文化研究所・客員所員)

成果公開

  • 上智大学・早稲田大学共同研究 アジア・アフリカにおける諸宗教の関係の歴史と現状
  • 上智大学 イスラーム地域研究(2015)
  • 大学共同利用機関法人 人間文化研究機構
  • 国立民族学博物館現代中東地域研究拠点
  • 東京外国語大学拠点
  • 京都大学拠点
  • 秋田大学拠点
  • 早稲田大学 イスラーム地域研究機構
ページのトップへ戻る