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◆刊行物・紀要

上智大学哲学科・文学研究科哲学専攻の刊行物・紀要として『哲学科紀要』『哲学論集』『上智哲学誌』の3つがあります。

『哲学科紀要』は、上智大学の哲学科教員が執筆する紀要です。

『哲学論集』は上智大学哲学会の機関誌として、年1回発行されます。編集刊行は本学会の編集委員会が行います。会員の投稿論文については、編集委員会による査読を経て掲載が承認されることが必要です。

『上智哲学誌』は、上智大学大学院文学研究科哲学専攻の大学院生が編集刊行する学術雑誌です。『哲学科紀要』、『哲学論集』とならんで、上智大学の哲学科・文学研究科哲学専攻でなされている研究の成果を公表する機会となっています。

バックナンバー、論文投稿、刊行期日などに関するお問い合わせは、哲学研究室(Tel 03-3238-3801)まで御連絡下さい。

『哲学科紀要』Philosophical Studies

『哲学科紀要』 第47号(202136日刊行)

目次

                                
アドルノ『ベートーヴェン 音楽の哲学』が照射するもの
――楽聖ベートーヴェン生誕ニ五〇年を記念しての芸術哲学的省察――(前編)
長町裕司(本学哲学科教授)
バウムガルテンの感性的認識(cognitio sensitiva)
――「上位認識能力/下位認識能力」およびヴォルフからの系譜に即して
桑原俊介(本学哲学科助教)
Human Rights and Personal Dignity
寺田俊郎(本学哲学科教授)

『哲学科紀要』 第46号(202036日刊行)

目次

                                         
物理量概念の哲学的分析
杉尾一(本学哲学科助教)
エミル・ラスク著
『哲学の論理学とカテゴリー論
――論理形式の支配領域に関する研究(一九一一年)』
解説と翻訳(五)(第二部第一章第二・三節)
大橋容一郎(本学哲学科教授)監修・解説
ラスク研究会 監訳
ダマスコスのヨアンネス『正統信仰論』第八九章(IV 16)
「聖画像について」
荻野弘之 (本学哲学科教授)翻訳・註解

『哲学科紀要』 第45号(201936日刊行)

目次

                    
物理学における言語と実在の問題
杉尾一(本学哲学科助教)
ヘルムート・プレスナー著
『有機的なものの諸段階と人間』の問題状況(第一章部分 訳)
鈴木伸国(本学哲学科准教授)訳

『哲学科紀要』 第44号(201836日刊行)

目次

                    
「幸福とは何か?」という問いを考えるために
荻野弘之(本学哲学科教授)
西洋形而上学〈と〉神 本篇 第一部:
《神の死》の根本経験とその解釈を巡っての思惟の動向―
(二)ニーチェ〈と〉ハイデガーのニーチェ解釈の狭間での
ニヒリズムの思索的問題圏域へ向けて
長町裕司(本学哲学科教授)
リポジトリ

『哲学科紀要』 第43号(201736日刊行)

目次

                                         
レトリックについて――その歴史と構造――
荻野弘之(本学哲学科教授)
反省的判断力としての道徳的判断力
寺田俊郎(本学哲学科教授)
エミル・ラスク著
『哲学の論理学とカテゴリー論
――論理形式の支配領域に関する研究(一九一一年)』
解説と翻訳(四)(第二部第一章第一節)
大橋容一郎(本学哲学科教授)監修・解説、ラスク研究会 監訳

『哲学科紀要』 第42号(201635日刊行)

目次

                                                              
対話と思考――誰を相手に、何を語るのか?
荻野弘之(本学哲学科教授)
哲学における精神修養とその方法
――ピエール・アドとパウル・ラボウの場合――
鈴木伸国(本学哲学科准教授)
エミル・ラスク著
『哲学の論理学とカテゴリー論
――論理形式の支配領域に関する研究(一九一一年)』
解説と翻訳(三)(第一部第四~六節)
大橋容一郎(本学哲学科教授)監訳・解説、ラスク研究会 訳

『哲学科紀要』 第41号(201535日刊行)

目次

                                                                                                                             
西洋形而上学<と>神 本篇 第一部:    
<神の死>の根本経験とその解釈を巡る思惟の根本動向    
(一)ニーチェの下での思索的発端。付論として、    
   ドストエフスキー『白痴』における、
   ハンス・ホルバインの<墓の中の死せるキリスト>についての断章
長町裕司(本学哲学科教授)    
〈グローバル化した世界の実践哲学〉
マティアス・ルッツ=バッハマン(ゲーテ大学・フランクフルト=アム=マイン)
「自由―人間の自律の概念とその現実性」
アンドレアス・ニーダーベルガー(デュースブルク=エッセン大学)
「共和主義と国民国家を超えた民主制」
寺田俊郎(本学哲学科教授)監訳・解題
中村信隆(本学哲学研究科博士後期課程)訳

『哲学科紀要』 第40号(201435日刊行)

目次

                                                              
祝辞「哲学科100周年によせて」
大谷啓治、クラウス・リーゼンフーバー、渡部清、西村清和
形なきものの形、聲なきものの聲
――キリスト教と西田の「無の哲学」――
田中裕(本学哲学科教授)
エミル・ラスク著
『哲学の論理学とカテゴリー論
――論理形式の支配領域に関する研究(一九一一年)』
解説と翻訳(二)
大橋容一郎(本学哲学科教授)監修・解説、ラスク研究会 監訳

『哲学科紀要』 第39号(2013310日刊行)

目次

                                                              
「賢慮」(フロネーシス)について
――アリストテレスにおける知識と行為の一側面――
荻野弘之(本学哲学科教授)
形なきものの形、聲なきものの聲
――キリスト教と西田の「無の哲学」――
田中裕(本学哲学科教授)
エミル・ラスク著
『哲学の論理学とカテゴリー論
――論理形式の支配領域に関する研究(一九一一年)』
解説と翻訳(緒論)
大橋容一郎(本学哲学科教授)監修・解説、ラスク研究会 監訳

『哲学科紀要』 第38号(2012310日刊行)

目次

                    
《西洋形而上学と神》再考究へ向けての新たな序論
――或いは、〈ドストエフスキー文学(『悪霊』)と神の問題〉序章――
長町 裕司(本学哲学科教授)
【研究ノート】
現代におけるペルソナ論の可能性
――カロル・ヴォイティワの現代性と、カントとその日本受容とを比較して――
勝西 良典

『哲学科紀要』 第37号(2011310日刊行)

目次

カントの道徳教育論の現代的意義
寺田 俊郎(本学哲学科教授)
Scriptura habet structuram
ケアにおける他者感受的な行為者性
早川 正祐(本学PD研究員)
東西両哲学思想の総合としての「日本哲学」
――「西田哲学」の独自性を検証する試み――
渡部 清(本学名誉教授)

『哲学科紀要』 第36号(2010310日刊行)

目次

アウグスティヌス『キリスト教の教え』第二巻における偶像崇拝について
田内 千里 助手
Scriptura habet structuram
―サン・ヴィクトール学派の解釈学―
中村 秀樹 専任講師
【創作ノート】
本質現成するものにおける内立性(Inständlishkeit)からの知
―グローバリゼーションの趨勢に直面してのハイデガー―
長町 裕司 教授
『哲学科紀要』第35号(2009年3月10日刊行)

目次

Memoria extasis
―サン・ヴィクトールのリカルドゥスにおける忘我的観想と記憶―
中村 秀樹 専任講師
「存在-形而上学」に対立する<存在の思惟>?
―トマス・アクィナスとマルティン・ハイデガーとの、未だ貫徹されざる歴史的対‐決(eine geschichtliche Aus-einander-setzung)へ向けて―
長町 裕司 准教授
「西田哲学」中・後期思想の仏教的要素
―仏教哲学としての「西田哲学」(承前)―
渡部 清 教授
『哲学科紀要』第34号(2008年3月10日刊行)

目次

プロティノスにおけるpankakiaの思想
―「舞台としての世界」概念の原風景―
樋笠 勝士 教授
オスティアのヴィジョンをめぐる一考察
―アウグスティヌス『告白』第九巻―
田内 千里 助手
神の自己展開としての宇宙
―『知ある無知』における一考察―
佐藤 直子 准教授
西村茂樹における学術と世界認識の関係
―その一見儒教的形而上学提示の意味について―
渡部 清 教授
『哲学科紀要』第33号(2007年3月11日刊行)

目次

ジャン・ビュリダンの哲学における言語理論
K・リーゼンフーバー 教授
<自律と統合>という問題構成へ向けて宗教哲学の胎動
―『ドイツ観念論最古の体系プログラム』をめぐってのヘーゲルの宗教的思惟―
長町 裕司 助教授
【研究ノート】
明治20年の哲学会(界)
―洋学としての「哲学」受容の経緯再考―
渡部 清 教授
『哲学科紀要』第32号(2006年3月22日刊行)

目次

この世に「在り」て原郷の内に「住まう」
―ハイデガーの思惟の道の《歩み返し》と『さすらい人が月に寄せて(Der Wanderer an den Mond)』―
長町 裕司 助教授
他者との共同を原理的に開く倫理の可能性
―カントの自立の思想に即した試論―
勝西 良典 助手
仏教哲学としての西田哲学
―『善の研究』を基礎として―
渡部 清 教授
『哲学科紀要』第31号(2005年3月22日刊行)

目次

詩的言語とロゴス性
樋笠 勝士 教授
クザーヌスとヴェンクの「知」と「言葉」
―両者の論争をめぐって―
佐藤 直子 助教授
日本近代における一元論の系譜
―西田哲学の成立前史として―
渡部 清 教授
『哲学論集』
『哲学論集』第49号(2020年10月10日刊行)

目次

          
物理量の認識論的解釈
杉尾 一(本学哲学科助教)
上智大学哲学会第91回大会シンポジウム
諸問題の系譜―開催の趣旨
荻野 弘之(本学哲学科教授)
ペリクレスの弁論とプラトン『ゴルギアス』
宮崎 文典(埼玉大学教育学部准教授・本学元非常勤講師)
弁論術的弁証術
―ルネサンスにおける弁論術と弁証術の統合とその歴史的位置づけ
桑原 俊介(本学哲学科助教)
説得術としてのレトリックの意義について
―アリストテレスからペレルマンへ―
持地 秀紀(本学大学院博士後期課程)
尊厳の概念と多義性について
―尊厳の伝統的概念と現代的概念の統合の試み―
中村 信隆(本学哲学科非常勤講師他)
ドゥルーズ『感覚の論理学』における「器官なき身体」
「感覚」との関連で
内藤 慧(東京大学大学院博士課程)
歴史の哲学と歴史性
―ハイデガーはヨルクから何を読み取ったか―
荻野 陽太(本学大学院博士前期課程)
『哲学論集』第48号(2019年10月10日刊行)

目次

          
カントを含むドイツ観念論の知的遺産
―その今日的再考
山脇 直司(星槎大学学長・東京大学名誉教授)
第89回上智大学哲学会 秋の大会 シンポジウム
哲学と教育
寺田 俊郎(本学哲学科教授)
卒業後にも「日曜哲学者」であり続けて欲しいから
山田 与史明(日本大学高等学校・中学校教諭)
哲学と教育を問い直す
―「哲学対話」の実践と実存の観点から
古賀 裕也(かえつ有明中・高等学校教諭)
社会人の「学び」における哲学の役割とはなにか?
―自由大学での社会人教育の実践報告から考える
田代 伶奈(自由大学キュレーター)
今井 祐里(自由大学キュレーター)
「眼鏡」によって神を観るということ
―クザーヌスDe berylloにおける〈反対対立の一致〉―
川﨑 えり(本学大学院博士後期課程)
『哲学論集』第47号(2018年10月10日刊行)

目次

          
第87回上智大学哲学会 秋の大会 シンポジウム
現象学的思惟の歴史的〈現況〉と〈行方〉
―フッサールから現代フランス現象学への展開に鑑みて―
長町 裕司(本学哲学科教授)
感覚の強度(II)
―エーデルマンの原意識と神経現象学の方向性―
山口 一郎(東洋大学名誉教授)
現象と生命
―「開け」への媒体から証人へ
斎藤 慶典(慶應義塾大学教授)
構想力と無限
―フランス語圏の現象学におけるカント哲学の現象学的再構築
長坂 真澄(群馬県立女子大学准教授)
第87回上智大学哲学会 秋の大会 シンポジウム
提題者への特定質問
大山 匠(本学大学院博士前期課程修了)
瀧 将之(本学哲学科非常勤講師他)
石田 寛子(本学大学院博士後期課程)
ニーチェの「文化」論
―「鋤の刃」という言葉を手がかりとして―
加藤 之敬(本学大学院博士後期課程)
内面化される運命
―ヘーゲル『精神現象学』における悲劇と喜劇―
岩田 健佑(一橋大学大学院博士後期課程)
『哲学論集』第46号(2017年10月10日刊行)

目次

          
ヒューム哲学の成立についての一考察:
ヒュームとバトラー
矢嶋 直規(国際基督教大学教授)
田中裕教授業績目録
      
田中裕先生を送る
荻野 弘之(本学哲学科教授)
場所と神「絶対無」の宗教哲学のため
―「絶対無」の宗教哲学のため
田中 裕(本学哲学科名誉教授)
西田哲学における人格の問題
―悪と当為を手引きに
白井 雅人(東洋大学井上円了研究センター客員研究員)
「永遠の今」と死の自覚
石井 砂母亜(跡見学園教諭)
若きショーペンハウアーにおける「思慮」概念の形成
―「よりよき意識」から「意志の否定」へ―
堤田 泰成(本学大学院博士後期課程)
アリストテレス『カテゴリー論』における述定とヒュポケイメノン
桑原 司(本学大学院博士後期課程)
コギトの哲学史的解釈のための語彙論的調査および予備的考察
―デカルト「第二省察」における<>の訳語を巡る問題―
田村 歩(筑波大学大学院一貫制博士課程)
歴史の動きに関する基礎的研
―後期西田哲学を手がかりとして―
岡田 基生(本学大学院博士前期課程)
哲学的対話の実践
―簡潔な解説寺田俊郎
寺田 俊郎(本学哲学科教授)
主体的に学ぶことは教えられるか?
―「哲学対話」の実践を通して考える―
古賀 裕也(お茶の水女子大学付属高等学校非常勤講師)
哲学的対話における自由への気づかいと対話の構え
永井 玲衣(本学大学院博士後期課程・立教大学文学部リサーチアシスタント)
対話を用いた哲学教育のための一理論としてのJ.デューイの哲学
堀越 耀介(本学グローバル・コンサーン研究所臨時職員)
『哲学論集』第45号(2016年10月10日刊行)

目次

          
ライプニッツの発見の論理
――「生きた図書館」の知の技法
佐々木 能章(東京女子大学教授)
上智大学哲学会第83回大会 シンポジウム
「現代思想の源流としてのドイツ哲学」
大橋 容一郎(本学哲学科教授)
心理主義から論理主義へ
――ヘルムホルツ、ランゲ、コーヘン――
辻 麻衣子(本学大学院文学研究科特別研究員)
カッシーラーの関係概念
――ハイデガーによる批判とカルナップの哲学からの新カント派の再検討――
庄子 綾(本学大学院博士後期課程)
歴史科学(歴史学)の方法論
――ジンメル・西南学派・ハイデッガー――
渡辺 和典(学習院大学、帝京大学、青山学院大学、他非常勤講師)
「趣味の主観主義」を拡張する
――『判断力批判』における「認識一般」を導き糸に――
高木 駿(一橋大学大学院博士後期課程・日本学術振興会特別研究員)
『哲学論集』第44号(2015年10月10日刊行)

目次

          
上智大学哲学会第81回大会 シンポジウム
「ニーチェ―世紀末の思想家は何を表現したかったのか―」
大橋 容一郎(本学哲学科教授)
十九世紀末の形而上学批判と新たな価値理想の探求
―ニーチェの権力への意志説を中心に―
梅田 孝太(本学研究機構特別研究員)
無からの創造と時間
―トマス・アクィナス『世界の永遠性について』を中心に―
芝元 航平(本学哲学科非常勤講師)
卑屈であるとはどういうことか
―カント「徳論」の議論を手掛かりとして―
中村 信隆(本学大学院博士後期課程)
生理学と美の形而上学を繋ぐもの
―ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』続編における天才の思慮について―
堤田 泰成(本学大学院博士前期課程修了)
<神>の語りの思索
―J-L・マリオンにおける<神>の現象学を巡って―
石田 寛子(本学大学院博士後期課程)
『哲学論集』第43号(2014年10月10日刊行)

目次

          
「上智大学哲学科100周年に寄せて」
(哲学科創設100周年記念シンポジウム「哲学科で学んだこと―回顧と展望」より)
大橋 容一郎(本学哲学科教授)
森一弘(カトリック司教、(財)真生会館理事長)
渡部 久仁子(旧姓・細野 主婦)
峯岸 正典(曹洞宗 長楽寺住職)
久美沙織(本名・波多野稲子 小説家)
塩川千夏(成蹊中学・高等学校教諭)
武重有紀子(医療法人社団哺育会 横浜相原病院 臨床心理士)
舞踊におけるダイナミズム
―動感、あるいは、運動感覚と呼ばれるものについて―
柿沼 美穂(東京工芸大学 非常勤講師)
経験心理学から超越論哲学へ?
―1780年前後の「構想力」概念―
辻 麻衣子(本学哲学科RA)
ニーチェの「真理への衝動」の発生史
―忘却概念を手掛かりとして―
加藤 之敬(本学大学院博士後期課程)
『哲学論集』第42号(2013年10月10日刊行)

目次

          
〈語りと沈黙―今日、宗教思想の行方―〉に寄せて
長町 裕司(本学哲学科教授)
宗教経験における語りと沈黙
―西田哲学における無の思索―
田中 裕(本学哲学科教授)
映し込まれた永遠
―「魂の根底」と「始原」をめぐるエックハルトの場所論―
田島 照久(早稲田大学教授)
神名の沈黙と語ること
―「動き」の現象学―
永井 晋(東洋大学教授)
アルベルトゥス・マグナスの能動知性論
―『人間論』に即して―
小林 剛(明治学院大学非常勤講師)
幾何学的認識と経験的認識
―カントの超越論的感性論における空間の問題―
浜田 郷史(本学大学院博士後期課程)
『哲学論集』第41号(2012年10月10日刊行)

目次

          
暴力と理性
―テキスト(textus)の解釈をめぐって―
宮本 久雄(本学神学部教授)
悲しみから生まれる力
―日本における無常とうき世の思想―
島薗 進(東京大学教授)
現代哲学としてのグローカル公共哲学
山脇 直司(東京大学教授)
「自分は自分である」ことと「我性」への「想像/構想」
―西谷啓治によるヤコブ・ベーメの思想への理解とその射程―
板橋 勇仁(立正大学准教授)
過去と如何に向き合うか
―ニーチェの「生に対する歴史の利害」における歴史哲学―
梅田 孝太(本学哲学科RA)
『私は考える』の複層的構造
―統覚命題再考―
辻 麻衣子(本学大学院博士後期課程・日本学術振興会特別研究員DC)
『哲学論集』第40号(2011年10月10日刊行)

目次

          
渡部先生のこと
大橋 容一郎(本学文学部長・哲学科教授)
渡部清教授 業績目録
 
哲学科での半世紀を回顧して
渡部 清(本学哲学科名誉教授)
実践哲学の第三層
「哲学と神学の共同と一致」
―カントの「規範的人間学」構想―
御子柴 義之(早稲田大学教授)
形而上学としての人間学
―カントにおける別のひとつの形而上学への道―
福谷 茂(京都大学教授)
人間的生の一回性
―超越論哲学と実用的見地のカント的交差―
勝西 良典(本学哲学科嘱託講師)
中間領域の逸脱と分散
―カントの人間学からハイデガーの脱人間学へ―
村井則夫(明星大学准教授)
純粋経験の「事実」とは何か
―西田幾多郎『善の研究』の出発点とその内実―
白井雅人(東洋大学国際哲学センター研究助手)
魂が「似ている」とは何か?
―プラトン『パイドン』における「親近性」の議論の意義―
三浦太一(本学大学院博士後期課程)
『哲学論集』第39号(2010年10月10日刊行)

目次

多元化社会の中の宗教哲学―仏教から西田哲学へ―
竹村 牧男(東洋大学教授)
往相環相二種廻向と田辺元―宗教哲学としての田辺哲学の一側面―
伊藤 益(筑波大学大学院教授)
なぜ宗教哲学か
八木 誠一(東京工業大学名誉教授)
『ニコマコス倫理学』における「心の壮大さ」の位置づけ
佐良土 茂樹(本学大学院博士後期課程)
新しい存在の生起を可能ならしめるもの―ホワイトヘッド哲学研究の一視点―
吉田 幸司(本学大学院博士後期課程)
『哲学論集』第38号(2009年10月10日刊行)

目次

クラウス・リーゼンフーバー教授引退の日に思う
渡部 清(本学哲学科教授)
K・リーゼンフーバー教授業績目録
 
中世における自己認識の展開
―近代思想の歴史的源泉をめぐって―
K・リーゼンフーバー
超越 Superior Summo meo, Interior intimo meo
「哲学と神学の共同と一致」
― Klaus Riesenhuber先生の業績を讃えて―感謝のうちに
加藤 信朗(首都大学東京名誉教授)
現代におけるトマス・アクイナスの意義
―「在るもの・ens」および知性の超越性をめぐって―
宮本 久雄(本学神学部教授)
現代に生きる中世
八巻 和彦(早稲田大学教授)
三位一体論をめぐるバシレイオス-エウノミオス論争と固有名の問題
土橋 茂樹(中央大学教授)
アリストテレス『ニコマコス倫理学』における「外的な善」の意味
佐良土 茂樹(本学大学院博士後期課程)
若きハイデガーにおける歴史の問題について
赤塚 弘之(東北大学大学院博士後期課程)
『哲学論集』第37号(2008年10月1日刊行)

目次

行為としての意識
河本 英夫(東洋大学文学部教授)
ドイツ観念論と狂気
―精神医学的探究―
内海 健(帝京大学医学部准教授)
病気による世界変容の意味
―ヴァイツゼッカーによる医学的人間学の試み―
丹木 博一(聖母大学看護学部准教授)
アルベルトゥス・マグヌスにおける数量認識について
小林 剛(中央大学非常勤講師)
ニーチェ心理学における「霊魂」と「肉体」
梅田 孝太(本学博士後期過程)
『哲学論集』第36号(2007年10月1日刊行)

目次

ハイデッガーの解釈学的現象学
―現存在の超越によせて―
酒井 潔(学習院大学教授)
懐疑論と理性
―フッサールとレヴィナスにおける現象学的思惟の動性―
田口 茂(山形大学准教授)
フランス現象学の可能性と現れないものの現象学
―現れないものの所与性とマリオンの現象学的絵画論―
関根 小織(慶應義塾大学非常勤講師)
プロティノス神秘体験表白箇所の余波
堀江 聡(慶應義塾大学教授)
予防原則の倫理学序説
―欧州の実践と責任倫理を手がかりに―
山本 剛史(慶應義塾大学非常勤講師)
「共苦」の政治
―「アウシュヴィッツ」後の人権の理念と現実―
紺野 茂樹(東京大学大学院博士課程単位修得退学)
ヘーゲルにおける「神義論」の問題
入江 容子(一橋大学大学院博士後期課程)
『哲学論集』第35号(2006年10月1日刊行)

目次

インマヌエルと三位一体の場所
―西田哲学と滝沢神学―
小野寺 功(清泉女子大学名誉教授)
西田幾多郎と滝沢克己
前田 保(和光大学講師)
西田哲学解釈の新たな展開可能性
―《場所的美学=如来蔵思想母胎的キリスト教》の提起:聖霊の哲学的説明・如来蔵思想の伏在:つつみつつまれる関係性の追及―
阿部 仲麻呂(日本カトリック神学会評議員)
「インマヌエル」とは何か
―滝沢克己のイエス・キリスト理解をめぐって―
石井 砂母亜(本学大学院博士後期課程)
勇気という「知識」
―プラトン『ラケス』篇における問題の所在―
波多野 知子(本学大学院博士後期課程)
アウグスティヌス『告白』における涙の意味
田内 千里(本学中世思想研究所嘱託)
マイスター・エックハルトの時間理解と実践的人間像
阿部 善彦(本学大学院博士後期課程)
『哲学論集』第34号(2005年10月1日刊行)

目次

フィリアとスタシス(友愛と内戦)
―シンポジウム「古代ギリシアはいかに活きるか?」への提題として―
土橋  茂樹(中央大学教授)
<ロゴスをもつ生き物〉の根源的意味(II)
―アーレント『人間の条件』第四節への補注―
森 一郎(東京女子大学助教授)
ソクラテスと青年たちのドラマ
―フーコーの「主体の解釈学」を手がかりにして―
塩川 千夏(成蹊高等学校教諭)
フィヒテ知識学における超越論哲学の理解
―『一八〇四年第二回知識学』「プロレゴメナ」におけるカント理解―
鈴木 伸国(本学大学院博士後期課程)
アンスコムの実践的推論
―推論図式に関する一考察―
早川 正祐(東京大学大学院博士課程)
清沢満之『純正哲学』における「現実」理解と関係論
―ロッツェ『形而上学』の仏教哲学的解釈―
角田 佑一(本学大学院博士前期課)
『哲学論集』第33号(2004年10月1日刊行)

目次

様式の死とポストモダン
西村 清和(東京大学教授)
9・11の/以降の/による エステティクス
―Aesthetics after 9.11―
田尻 真理子(東京純心女子大学助教授)
「美的経験」とは何か
―アウグスティヌスにおける「美的経験」の両義的価値―
樋笠 勝士(本学哲学科教授)
新たな美的経験としての知覚へ
―ベンヤミンの「知覚論」としての美学―
柿木 伸之(広島市立大学専任講師)
プラトン『エウテュフロン』における行為と知識
―敬虔の「パラディグマ」をめぐって―
波多野 知子(本学大学院博士後期課程)
自由を拓く行為主体の作成
―カントにおける実践理性の問題の場所論―
勝西 良典(本学哲学科助手)
『哲学論集』第32号(2003年10月1日刊行)

目次

グローバリゼーション、アイデンティティ、そして普遍的正義
八巻 和彦(早稲田大学教授)
アイデンティティ・ポリティックスと普遍的正義
舟場 保之(立命館大学講師)
普遍性を可能にするものへの眼差し
―哲学的正義論と現象学的思惟の狭間で―
長町 裕司(本学哲学科助教授)
超越的判断とは何か―カントによる学校哲学批判の視点―
藤本 忠(日本学術振興会特別研究員)
個物とは何か?
―弁証法的一般者としての世界」から―
白井 雅人(本学博士後期課程)
エーコの「テクスト解釈を制限する基準」について
近藤 宙子(本学博士後期課程OG)
知的愛と自己認識
―スピノザの認識論における自己把握―
中野 昭子(本学博士前期課程OG)
『哲学論集』第31号(2002年10月1日刊行)

目次

「聞く」ということ
坂東 性純(元大谷大学教授・報恩寺住職)
「心」のゆくえ
大橋 容一郎(本学哲学科教授)
他者の心
―実験心理学と心の哲学のあいだ―
金沢 創(淑徳大学専任講師)
魂の文法 独我論から非対称性の哲学へ
崎川 修(東京純心女子大学非常勤講師)
ベンヤミンの認識論
―救出としての認識へ―
柿木 伸之(広島市立大学専任講師)
「物」と人間存在
―ハイデッガーの芸術作品をめぐる思惟から―
米持 和幸(京都大学大学院博士課程)
トマス・アクィナスの「第一の道」における運動について
小林 剛(京都大学大学院博士課程O.D.)
『上智哲学誌』SOPHIA PHILOSOPHICA
『上智哲学誌』第33号(2021年2月28日刊行)

目次
                                                                                 
カッシーラーの文化哲学の意義
庄子綾(本学大学院博士後期課程修了)
デューイにおける「美的経験」概念の有用性について
趙恩(本学大学院博士前期課程)
マルシリオ・フィチーノの二つのプラトン註解における宇宙観の根底
―宇宙の内在的力動としての愛のための試論―
柴田光(本学大学院博士前期課程)
メーヌ・ド・ビラン『心理学基礎論』における「努力」の概念と「同一性」の問題
長坂祥悟(本学大学院博士前期課程)
 【翻訳】ビンゲンのヒルデガルト『スキヴィアス』緒言および第一部の第一の幻視
川﨑えり(本学大学院博士後期課程)
嶋田裕子(本学大学院博士前期課程修了)
堤田泰成(本学大学外国語学部 特別研究員PD)
『上智哲学誌』第32号(2020年2月28日刊行)

目次
                    
巻頭言
丹木 博一(本学短期大学部英語科教授)
前期ハイデガーにおける歴史性概念の問題
―決断主義的解釈に基づく批判とその応答を手引きに―
荻野 陽太(本学大学院博士前期課程)
【翻訳】ヨハネス・ヴェンク『無知なる書について』翻訳後編
川﨑 えり(本学大学院博士後期課程)
【翻訳】エロース(1927)
―マックス・シェーラーの遺稿集より―
菊地 了(本学大学院博士後期課程)
『上智哲学誌』第31号(2019年2月28日刊行)

目次
                    
未来世代という存在の様相
―我々は「未来世代への責務」をどのように負うか―
木谷 信太郎(本学大学院博士前期課程)
【翻訳】ヤーコプ・ベーメ『鍵』 序文および本論第1章から第8章まで
堤田 泰成(本学大学院博士後期課程・日本学術振興会特別研究員)
【翻訳】ヨハネス・ヴェンク『無知なる書について』翻訳前編
川﨑 えり(本学大学院博士後期課程)
【翻訳】ニーチェによるショーペンハウアーに関する二つの移行(1868年から69年)
江藤 信暁(本学大学院博士後期課程)
『上智哲学誌』第30号(2018年2月28日刊行)

目次
カッシーラーの『象徴形式の哲学』における〈現象〉と〈現象学〉
―〈基礎現象〉からの考察―
庄子 綾(本学大学院博士後期課程)
「質料と形相」は、ものの何だったのか
―アリストテレス『自然学』第1巻を手掛かりに―
桑原 司(本学大学院博士後期課程)
【翻訳】G. E. L. オーエン「アリストテレスの初期著作における論理学と形而上学」
桑原 司 訳(本学大学院博士後期課程)
宇宙の心
―エンペドクレスの「愛と争い」について―
熊崎 愛(本学大学院博士前期課程)
マルティン・ブーバーの哲学的人間学における人間
―『我と汝』と『原離隔と関わり』を手掛かりとして―
須藤 真穂(本学大学院博士前期課程)
『上智哲学誌』第29号(2017年2月28日刊行)

目次
                                                                                                      
真理の否定と自己矛盾の問題
―ニーチェ『生に対する歴史の利害について』の真理概念―
荒木 和明(本学大学院博士後期課程)
「魂の暴風(ψυχῆς ῥιπαὶ)」とは何か
―ソフォクレス『アンティゴネー』第四エペイソディオンとプラトン―
荒幡 智佳(本学大学院博士後期課程)
【翻訳】G. E. L. オーエン「アリストテレスのプラトニズム」
桑原 司 訳(本学大学院博士後期課程)
ショーペンハウアーの認識論における理性の役割
堤田 泰成(本学大学院博士後期課程)
多様性・意味・包摂
―クザーヌスとデューイにおける「探究」―
今井 祐里(本学大学院博士前期課程)
堀越 耀介(早稲田大学大学院政治学研究科博士前期課程)
キルケゴール『哲学的断片』に見られる無根拠性
―「間奏楽」を手がかりにして―
馬場 翔太郎(本学大学院博士前期課程)
【書評】村井則夫『人文学の可能性―言語・歴史・形象―』(知泉書館、2016年)
加藤 之敬(本学大学院博士後期課程)
【書評】高橋陽一郎『藝術としての哲学―ショーペンハウアー哲学における矛盾の意味―』(晃洋書房、2016年)
堤田 泰成(本学大学院博士後期課程)
『上智哲学誌』第28号(2016年2月29日刊行)

目次
                                        
三種類の自尊心と「他人との比較」が自尊心に対してもつ意味について
中村 信隆(本学大学院博士後期課程)
ソクラテスはアポロンに由来するのか
―『悲劇の誕生』における歴史哲学―
荒木 和明(本学大学院博士後期課程)
崇高・共苦・諦念
―ショーペンハウアーにおける悲劇論と倫理学の連関をめぐって―
堤田 泰成(本学大学院博士前期課程修了)
行為のための仮象
―ニーチェ「生に対する歴史の利害について」における行為と歴史の関係―
江藤 信暁(本学大学院博士前期課程)
「現存在の語り」から「言葉は語る」へ
―ハイデガーにおける、存在体制としての「聴くこと」―
今成 鈴香(本学大学院博士前期課程)
「消極的自由」と「積極的自由」
―西田幾多郎『無の自覚的限定』を手引きに―
岡田 基生(本学大学院博士前期課程)
『上智哲学誌(特集:共同体)』第27号(2015年2月28日刊行)

目次
                                                                                  
ニーチェの真理観を理解する糸口としての「正義」
―『人間的、あまりに人間的』における議論から―
加藤 之敬(本学大学院博士後期課程)
空間の再構成としての運動
―『純粋理性批判』における第二類推の問題圏―
浜田 郷史(本学博士後期課程)
南原繁の「現実的理想主義」を可能ならしめるもの
―方法二元論の意義と限界―
須賀 佳苗(本学大学院博士後期課程)
恋人たちにおける普遍的なもの
―ジョルジュ・バタイユにおける恋人たちと国家の対立―
新居 健(本学大学院博士前期課程)
サルトル『存在と無』における「共同存在」の実現可能性について
伊勢 美里(本学大学院博士前期課程)
独我論とモナド共同体
―フッサール現象学におけるモナドロジー―
大山 匠(本学大学院博士前期課程)
サルトルにおける「目的の都市」
永井 玲衣(本学大学院博士前期課程)
『上智哲学誌』第26号(2014年2月28日刊行)

目次

                                        
母親殺し
―坂口安吾の倫理性におけるミソジニー―
中畑 邦夫(本学大学院博士後期課程修了・国立音楽大学他非常勤講師)
The Symbol of Mountain in the Mystical Thought of Nicolaus Cusanus
:Transfiguration in Mount in Sermo 176
阿部 善彦(本学博士後期課程修了・日本学術振興会PD/ 早稲田大学文学学術院)
偶像からイコンへ
―J-L・マリオンにおける距離の現象学的神論―
石田 寛子(本学大学院博士前期課程)
「道徳外の意味における真理と虚偽について」におけるニーチェの真理概念
―ニーチェにとっての真偽の基準は対応説か、プラグマティックな説か―
荒木 和明(本学大学院博士前期課程)
<翻訳>「ニーチェの文化哲学におけと今日の間文化的対話の布置」
Lisz HIRN(グラーツ大学博士)[梅田孝太・加藤之敬訳]
<文献紹介>Massimiliano SAVINI「比較あるいは推理―ルネ・デカルトの思索における比較概念の規定と働き」
大塚 喜世徳(本学大学院博士後期課程)
『上智哲学誌』第25号(2013年2月28日刊行)

目次

                                                             
巻頭言
大橋 容一郎(本学文学部哲学科教授・文学部長)
The Meaning of Death in German Mysticism
―Reading Mystical Visions of Suso―
阿部 善彦(日本学術振興会特別研究員PD・早稲田大学文学学術院)
『エウデモス倫理学』における「心の壮大さ」の意義
佐良土 茂樹(本学大学院博士後期課程)
<解説と抄訳>J. N. テーテンス『人間本性とその展開に関する哲学的試論』
辻 麻衣子(日本学術振興会特別研究員DC2・本学大学院博士後期課程)
ヒュームの信念論はいかなる規範性を有するか
―事実と実在の体系をめぐる闘争―
目黒 広和(本学大学院博士前期課程修了)
ベルクソン「プロティノス講義」における「意識」の問題
持地 秀紀(本学大学院博士前期課程)
ディルタイにおける「追体験」の二重性とその意義について
―ディルタイの後期著作において―
森 成海(本学大学院博士前期課程)
ショーペンハウアーの悲劇論と人間理解
―ヘーゲルの悲劇論を対照として―
堤田 泰成(本学大学院博士前期課程)
『上智哲学誌』第24号(2012年2月28日刊行)

目次

                                         
意識と対象
―第一版演繹論における対象の客観的実在性―
辻 麻衣子(本学大学院博士後期課程)
表現行為における「明証」性
―M. メルロ=ポンティ思想の観点から―
栗原 しおり(本学大学院博士前期課程修了)
「生」に奉仕するものとしての歴史
―「生に対する歴史の利害について」におけるニーチェの歴史概念
加藤 之敬(本学大学院博士前期課程)
マイスター・エックハルトの像(imago)理解とその射程について
堤 春陽(本学大学院博士前期課程)
形式としての時空
―「超越論的感性論」における離存性の構造―
浜田 郷史(本学大学院博士前期課程)
エコソフィアシンポジウム特集
環境倫理の基盤としてのホワイトヘッドのパースペクティブ主義
―日本的自然の概念に対するプロセス思想―
スティーブ・オーディン(ハワイ大学マノア校 哲学科教授)
新しきものの予見―
ベルクソンとホワイトヘッドにおける可能性と創造―
アレクサンダー・ハイトス(テキサスA&M大学大学院博士課程)
            
『上智哲学誌』第23号(2011年2月28日刊行)

目次

                                         
初期ハイデガーにおける現象学の自己理解―現象学の二重的本質―
津田 良生(本学博士後期課程)
格率の公表・隠蔽はいかにして正不正と関わるのか―カントの公表性の原理をめぐって―
中村 信隆(本学博士前期課程)
『悲劇の誕生』における三つの文化
山田 汐音(本学博士前期課程修了)
S. K. ランガーにおける芸術シンボルの原理
東 洋平(本学博士前期課程修了)
ハンス・ヨナスの『責任という原理』における理論と実践との間
神前 潤一郎(本学博士前期課程)
D. ヒュームの間接情念論における因果と人格
目黒 広和(本学博士前期課程)
ショーペンハウアーにおける身体把握の二重性と「意志」の概念
西山 友子(本学博士前期課程)
『上智哲学誌』第22号(2010年2月28日刊行)

目次

                    
ムーア周辺の社会哲学―ケインズとウルフの倫理学的差異―
桑原 光一郎(本学博士後期課程修了)
ニヒリズムという病
梅田 孝太(本学博士後期課程)
驚嘆と探求のゆくえ―『ニコマコス倫理学』における観想論ー
佐良土 茂樹(本学博士後期課程)
プラトン『パイドン』の想起説における個物と形相
三浦 太一(本学博士後期課程)
三重の総合における統覚―有機的構造としての「主観的演繹」の解釈の試み―
辻 麻衣子(本学博士後期課程)
M. メルロ=ポンティ『間接的言語と沈黙の声』における、創造的な「語り」の構造について
栗原 しおり(本学博士前期課程)
『上智哲学誌』第21号(2009年2月28日刊行)

目次

ヘーゲルによる「神の定在の存在論的証明」について
中畑 邦夫(本学博士後期課程修了)
サラマンカ学派における国際市場化時代の商業論
桑原 光一郎(本学博士後期課程)
アウグスティヌス『音楽論』第六巻における「数numeri」の認識について
北川 恵(本学博士後期課程)
プラトン『パイドン』における「浄め」について
三浦 太一(本学博士後期課程)
アウグスティヌスの『ソリロクィア』における対話編の性質
竹内 恵利香(本学博士前期課程)
『上智哲学誌』第20号(2008年3月11日刊行)

目次

フィヒテによる「信」の包括的要約の試み(1809年)
鈴木 信国(本学博士後期課程)
トマス・アクィナスの所有論
桑原 光一郎(本学博士後期課程)
「範疇論」における「経験の関心」批判の必然性
木村 恵子(本学博士前期課程)
1925年におけるハイデガーの歴史に関する考察とデュルタイの受容の問題
赤塚 弘之(本学博士前期課程)
善のイデアの解釈に基づく、ハイデガーの「超越の問題構成」及び、いわゆる「三重の差異」の問いの地平
津田 良生(本学博士前期課程)
前期ハイデガーの図式論について―時間は如何にして見られるか―
有田 竜朗(本学博士前期課程)
『上智哲学誌』第19号(2007年3月11日刊行)

目次

『精神現象学』における<ファウストゥス主義>の没落
―行動と言葉の観点から―
小島 優子(本学博士後期課程)
「啓示批判書」におけるフィヒテの「信」の構造と位相
鈴木 伸国(本学博士後期課程)
キリスト教と西田哲学
―西田哲学における「不可逆」の在処―
石井 砂母亜(本学博士後期課程)
ヤスパース『哲学』における「無制約的行為」について
平賀 重文(本学博士前期課程)
『1804年知識学 第二回講義』の課題設定について
―事実的明証から発生的明証へ―
古屋 征紀(本学博士前期課程)
カントにおける経験的「関心」批判―関心論・序論―
木村 恵子(本学博士前期課程)
ハイデガー『時間の概念』講演における死と先駆
津田 良生(本学博士前期課程)
『上智哲学誌』第18号(2006年3月31日刊行)

目次

脳死と臓器移植
―人の死はいかに決定されるか―
小島 優子(本学博士後期課程)
トマス・アクィナスの職分論
桑原 光一郎(本学博士前期課程)
シェリングの自由論における悪
前田 史織(本学博士前期課程)
プロセスと実存
―ホワイトヘッド哲学を手引きとして―
吉田 幸司(本学博士前期課程)
『上智哲学誌』第17号(2005年3月31日刊行)

目次

感性的確信の弁証法
―「自然的意識」と「学」との関係―
小島 優子(本学博士後期課程)
〈インマヌエル〉の原事実における平等性と普遍性
―滝沢克己の神人学を手引きに―
石井 砂母亜(本学博士後期課程)
事項の身分
―『知識学への第二序説』(1797年)を手掛かりに―
竹田 信弘(本学博士前期課程)
芸術作品における真理の生起
―『芸術作品の根源』におけるハイデガーの芸術哲学―
前田 綾香(本学博士前期課程)
シェリングの自然観
―自然哲学の目標とその意義―
前田 史織(本学博士前期課程)
後期ニーチェにおける「意志」の概念
梅田 孝太(本学博士前期課程)
隠喩と想像力 ―ポール・リクール『生きた隠喩』をめぐって―
山田 智正(本学博士前期課程)