◆◆36号(1998/3/25)から◆◆

「伝聞不如親見」の言葉を胸に 春原昭彦教授退任パーティ

1998年1月17日の最終講義、新聞学科有志主催の「春原先生を囲む会」に引き続き、翌18日には大学院新聞学専攻院生会有志を中心として「春原先生御退任パーティー」が京王プラザホテル「富士」の間で開催された。パーティーには、春原先生のほかに奥様にもご参加いただき、この会を盛り上げていただいた。韓国や台湾から駆けつけた留学生、卒業生、在学生のほかにも、本学の先生方、春原先生と親交の深い内川芳美・東京大学名誉教授をはじめ、ともに教鞭をとられた三好崇一元教授(現明海大学)、百瀬伸夫・電通副社長、そして濱田純一・東京大学社会情報研究所所長ら総勢50名を超える盛大なパーティーとなった。

 鈴木雄雅・院生会有志代表(新聞学科長)の挨拶に引き続き、内川先生が「いつもは、ウッちゃん、ハルちゃんと呼び合っている仲間で、春原先生とお呼びするのはいささか気恥ずかしいのですが」と切り出され、春原先生との50年にもわたるお付き合いに中から数多くのエピソードをお話いただいた。続いて三好先生からは、朝日新聞の社史編集に先生の著書『日本新聞通史』が使われていたという秘話が披露された。

 春原先生からは、学生時代の思い出として、小野秀雄先生とのマンツーマンで原書講読をされて新聞学の基礎を学ばれたことなど、これまで明かされたことのない話が飛び出し、大学院関係者へのエールをいただいた。

 「乾杯」の後、先生の周りは一言ご挨拶しようという卒業生、在学生で、先生は身動きも取れない状態に。思い出話に花が咲き、先生の周りで次々とフラッシュが光るという、和やかな雰囲気の中で会は進んだ。

 会の中盤では数々のエピソードが寄せられた。武市英雄教授からは、先生との旅先の秘話として、「春原先生の韓国通は、先生が席を譲られたのが韓国だからではないか」。また濱田純一先生からは「これだけの卒業生、在学生が一同に会して先生をお祝いするというのは、日ごろの先生の暖かみのあるご指導があるから」とのお言葉を頂き、あらためて先生のご指導の日々を思い返すこととなった。 大学院春原ゼミからは二期生の斎藤(旧姓・大江)伸子さんと、韓国からの留学生で現在鮮文大学教授の李錬さんから「春原先生のご指導は、常に正解を教えるのではなくあくまでもヒントをいただくことであった」「いいかげんな報告は先生にすぐに見破られてしまい、怖い思いもした」「真面目に授業を受けていない学生に対して、なぜ先生が烈火のごとく怒られたということが、自分が教壇に立ってみて、やっと分かった。学生に対する愛情があればこその叱咤」「日本人と留学生ということで、決して差別することなく、分け隔てのないご指導に感謝している」とのお話をいただいた。いずれも先生の熱心さと愛情をこめたご指導に対して感謝の気持ちを表すものであった。

 続いて先生へのご退任記念として、参加者一同から、先生のトレードマークでもあるバーバリーのベレー帽、シャツ、そしてご旅行が大好きということで旅行カバンのセットを、そして在学生からは一人一人が春原先生へのメッセージを各自の写真とともに記したアルバムが贈られた。

 そして先生からは、実際に真実を見つめることが研究者として非常に大事なこととして座右の銘にされているとのお話とともに、「伝聞不如親見」とのお言葉をいただき、滞りなく会は終了した。この言葉を記した色紙は、最後に撮影した記念写真とともにパーティーに参加いただいた全員の元に届けられている。

 予定の二時間があっという間に過ぎてしまい、先生との思い出が駆け足になってしまったのも、それだけ皆の感謝の気持ちの表れではなかったかと思う。

 先生のますますのご健康とご活躍をお祈り申しあげます。

    (大学院・浅利光昭)

 しょうそく番外編

 卒業生からの手紙(その1)

 十年ほど前、ありがたく母校現況などたくさんの資料を寄せていただき、上智の絆にしみじみのお思いです。

 十年とはいかにも弾指の間のようでした。もうすっかり老いぼれてしまっていますが、心境だけはいたって良好です。近日撮ってもらった写真をお送りします。

 リタイアメントの生活としては、文化交流のおかげで少しも寂しくありません。一日も欠かさず日本のアニメーションを見ては、若返るような気分です。、輸入が許可されている日本のテレフューチャーも見逃さず、再度の日本認識に一役かっています。「蒔かぬ種は生えぬ」といわれるように、日本の友人からは新しいインフォメーションを入手して、余生を賑わされているくらいです。できれば先生のお教えをいただけるなら幸甚です。

(白 宝純=昭和14年卒・中国内蒙古通遼市哲里木牧畜学院)

 卒業生からの手紙(その2)

 静岡で迎える、最後のお正月となりました。この二年九か月、選挙や「豊かさ」の検証、さまざまな取材を通して、県内の市町村を歩、くらしの中の疑問点を自分の目でみて、ぶつけてきました。限られた時間で取材した中で、ひとの生きざまを描く難しさには、いまも悩み続けています。多くの方々に支えられて、楽しく、あっという間に静岡での時は過ぎてしまいました。本当に、ありがとうございました。

 一月十日より、盛岡支局に赴任します。まだまだ力不足ですが、全力投球の気持ちだけは忘れずに励んでいくつもりです。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。           

(Y・I)