卒業生の声

現代の不可解さと対峙するために—私の場合

2016年度卒業生 是澤櫻子(大学院(博士課程前期))

筆者:大学内は暖かい(たまに暑い)です

筆者:大学内は暖かい(たまに暑い)です


 

はじめに

2013年、上智大学に入学しました。現在は大学院生です。東北大学に籍を置きながら、ノボシビルスク国立大学(ロシア連邦)でシベリア先住民の先住民の歴史・人類学を学んでいます。
今回、卒業後の活躍(?)ということで、史学科の卒業生がどのような進路を歩んでいるのか、私の例を少し紹介できればと思います。

どうして大学院か?

大学院への進学を決めたのは学部3年の冬頃です。当時、就職か大学院かで悩んでいたのですが、半年間のインターン(国際協力系の資金調達)を経て、「研究を極める場で生きたい!」と思えたのが率直な理由でした。卒業後の進路選択は人それぞれ考えがあると思いますが、私にとって、やりたいことを思いっきりやれる場所、日常生活で抱いた疑問を追究し、解決への道筋を共に考える仲間がいる場所が大学院でした。

文理融合型の大学院

東北大学では、環境科学研究科、先端環境創成学、文化生態保全分野、高倉研究室に所属しています。名前が長いですね(笑)
この研究科の特徴は、文理融合型という点です。学生の出身は工学、理学、生物学、政治学、経済学などなど。同じ授業や学内発表の機会が多いため、理系の考え方、文系の考え方、毎回意見交換します。その際、いつも「文系は社会の何に役立つのか?」という点が追究されます。

留学中の生活

2018年2月から1年間、ノボシビルスク(ロシア連邦)に滞在中です。目的は、大学院の研究に必要な力をつけるため。ロシア語はもちろん、現地に訪れてみて初めて、抱ける問題意識や視点があるはずだと考え、留学を決めました。
留学中はノボシビルスクに拠点を置きながら、モスクワやノボクズネツクにも訪れています。先住民が一同に集まるフェスティバルに参加したり、実際に先住民として生きる人々の生き様を見て、聞いて、対話して、共に生きるためです。

歴史学は何の役に立つのか?

先ほど、文理融合型大学院では「文系は社会の何に役立つのか?」が追究されると言いました。史学科で、曲がりなりにも「歴史学」を学んできた私にとって、歴史学は「日常の「当たり前」を疑う視点を身に着けられる」という点で役に立ちます。そして、その視点は歴史のもつ「物語」という構造と関わってきます。
マンガ、小説、アニメ、どんな物語にも「はじめ」と「おわり」があるように、歴史にも「はじめ」と「おわり」があります。この筋立て(プロット)の構造と妥当性に自覚的になることが、歴史学の第一歩だと考えます。
起承転結が成り立っていない物語は、読んでいてもつまらないように、歴史にも起承転結がしっかりあります。ただ、それがしっかりしすぎて、あまりに簡潔に単純に、疑問をもたずに読み終えて、「歴史を知った」という気になるのは要注意です。そのプロットを読みやすくするために抜け落ちたものは何なのか?少し考えてみれば、きっと、異なった「歴史」が立ち現れてきます。
こうした視点は、大学院の場だけでなく、商品開発や、対人相手のサービス業、どんな日常の営みにも通用する視点です。さらには、自身を取り巻く政治、経済、教育の「不可解さ」と対峙するために欠かせません。
だからこそ重要なのは、(梨木香歩さんの言葉を借りますが)要点のみを書きだした「単純化」や、理解の仕方を低く設定した「幼稚化」ではなく、全体の複雑さをごまかすことなく、よりリアルにし、その全体を共々立ち上がらせる「明晰性」を伴ったプロットを論じる力です。歴史学はそうした力を身に着けて、現代の不可解さに立ち向かえる武器になる。大学院でも留学生活でも、そう強く思います。

ノボシビルスク、春はリスがたくさんでます(2月)

ノボシビルスク、春はリスがたくさんでます(2月)

モスクワにて(フェスティバルの看板)

モスクワにて(フェスティバルの看板)

上へ戻る