卒業生の声

心の駆け込み寺、長田ゼミ

1996年度卒業生 土橋朝洋(慶應義塾中等部教諭)

太宰のような物言いをすれば、不真面目な学生生活を送りました。

卒業時のエピソードで、当時の教授陣のさる方(長田先生ではありません)から、「君が卒業か、不良品を世の中に送り出すことになるなあ」と何とも有り難い、残念なお言葉を頂戴したのを今でも鮮烈に記憶しています。当然、恩師の長田先生にもご迷惑をおかけしました。
3年生の夏には、先生から日露戦争に関する分厚い洋書を渡されました。粋なプレゼントではなく、諸事情によるペナルティとして。で、全部訳して来いと。それも今となってはいい思い出です。

そんな不肖のゼミ生(の一人)でしたが、社会に出てからも、変わらずお世話になっています。節目節目で仕事のアドバイスをいただいたり、ゼミの飲みに参加させていただいたり。

ところで、「変わらず」と言えば、長田先生、今もお変わりないですよね。……見た目が。我々が2年生だった1994年に上智に助教授でいらっしゃって、かれこれ20年は経っているはずなのに。つまりそれは、上智の学生と日々接して常に瑞々しい感性を保ち、近代日本外交史の精力的な研究を続け、時には海外の大学で研鑽し、ピアニストの奥さまに癒されている結果としてその若さを維持たらしめているのか。あるいは、ただ単に当時先生が、ちょっと言いづらいですが、多少老けていただけのことなのか。

ともかく、もう一つ、変わらないもの。それは長田ゼミの“ゆるさ”でしょう。恒例行事、2月の追いコンに顔を出すと、ゼミの雰囲気が醸し出す“ゆるさ”に触れて、自分も「四谷に戻ってきたな」としみじみ実感できます。ここまで書いて気付いたのですが、要は、大学のゼミなんて先生の人柄こそ全てだと思うのです。

さて、今私は都内の中学校で教職に就いております。専門は国語教育、とりわけ司書教諭として読書教育に尽力しています。読書教育と聞いて、みなさんは何かイメージが思い浮かぶでしょうか。そして、中学時代にそれを受けたことがあるでしょうか。

本を薦め、感想文を書いてもらう。それは日常茶飯事。例えば、授業の一形態では、生徒に新書を読んでもらって、私と生徒の1対1で面談して本の内容を尋ね、答えてもらうという光景もあります。卒論の口頭試問の簡易版みたいなもの、と言えば分かりやすいでしょうか。
また、レポート・論文の書き方も指導します。仮説、引用、参考文献、こういった必須項目を理解し、駆使できる中学生は格好いいし、それができる彼らを育てたい。結果的に、私は教科で歴史を教えるのではなく、国語を選択しましたが、このような取り組みの多くは、史学科で学んだことが大いに役立っています。

最後に、上智を目指す人へ。大学は、どこまでも自由です。史学科も、その自由を保証してくれるでしょう。上智の学生は実に真面目です。進んで学んでいけば、何かを成し遂げられると思います。私は上智の四年間、これといった成果を残せませんでした。それもまた自由の結果です。ただ、そこで出会った人には本当に感謝していますし、先生を始め、今も繋がりを大切にしています。自力で拓くところと、また、他に頼るところ。両者とも、人間力と言えるでしょう。そのバランスの良さを追求してください。

 

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