上智大学 大学院 グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻(SGPAS) Sophia University, Graduate Program in Area Studies, Graduate School of Global Studies

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地域研究のアプローチ

イスラーム

イスラーム地域研究とはなにか

赤堀雅幸(あかほり まさゆき)
地域研究専攻教員
専門:人類学、イスラーム地域研究

トルコ中部スィヴァス、山上の聖者廟(アフマド・トゥーラン廟)
トルコ中部スィヴァス、山上の聖者廟(アフマド・トゥーラン廟)

 イスラームに対する学問のアプローチは多様です。日本ではこれまで宗教としてのイスラームに関する思想研究、文明としてのイスラームに関する歴史研究が主流でした。その後、1970年代末から政治にイスラームを反映させようとする運動(「イスラーム主義」や「イスラーム原理主義」などと呼ばれます)が興隆してきたことを受けて、この30年間ほどは政治学の分野からのイスラーム研究が盛んに行われてきました。このような状況を受けて、地域研究の分野で今、イスラームが取り上げられるときには、政治あるいは紛争や難民の問題などとの関連で注目されることが最近は目立ちます。
 しかし、地域研究がイスラームに取り組むことの意義は、そうした目の前の問題に取り組むことだけに求められるわけではありません。時間的に長く、空間的に広く展開してきたイスラームの共通性と多様性を、それぞれの地域のムスリムたちの暮らしの現実に立脚しながら大きく見ていこうとするありとあらゆる試みが、地域研究としてのイスラーム研究(「イスラーム地域研究」という呼び方が、1990年代半ばから使われています)を構成します。そこでは、思想や歴史や政治、さらには文学や人類学や社会学の研究が単独で行われるのではなく、一人の研究者のうちで、あるいは研究者の集団のなかで交わり、たがいに結びつけられていかなくてはなりません。
 もちろん、地域のありとあらゆることにイスラームを見てしまうような過剰な解釈は慎まなくてはなりません。それに、本当ならここで述べたような研究のアプローチは、キリスト教についても同じように適用可能なはずです。なぜ、今、イスラームをめぐる地域研究で盛んに議論されていることが、キリスト教については行われないのか、その意味合いを考えることもまた、イスラーム研究と地域研究の双方にとって意義のあることと言えるでしょう。

【研究紹介─エジプトの出稼ぎ労働者の暮らし】

岡戸真幸(おかど まさき)
上智大学・科研リサーチフェロー、非常勤講師

アレクサンドリアでの上エジプト出身者の結婚式にて
アレクサンドリアでの上エジプト出身者の結婚式にて。
私は、普段洋服だが、この日は彼らに合わせて伝統衣装のガラベーヤを着ている。

 私は、人類学を専門としており、エジプトのアレクサンドリアで、エジプト南部(上エジプト)の農村から都市へさまざまな目的で来る人々を対象に、彼らが自らの故地に由来する社会的ネットワークを都市で維持し続ける意義とは何かを分析し、それが都市においていかに変容するかを観察してきた。その成果の一部は、『エジプト都市部における出稼ぎ労働者の社会的ネットワークと場をめぐる生活誌』として、上智大学アジア文化研究所から公開されている。
 専門が人類学であることもあり、私は、現地に入るとほぼ部屋に閉じこもることなく、色々な人に会いに行き、彼らと一緒にいることが多い。そうした彼らと過ごす日常生活の中で、感じ方の違いに驚くことがある。
 2008年から2年間、長期でアレクサンドリアに住み、都市で地方出身者が相互扶助を目的に作る同郷者団体を調査していた時に、体調を崩し、風邪を引いたことがあった。セキとだるさで動けなかったが、食料もあるので、寝ていれば大丈夫とその日電話に出ずに寝ていたら、夜の22時頃に、同郷者団体の調査でお世話になっていたMさんがものすごい勢いでドアをたたく音で起こされた。彼に連絡することなく、彼からの電話にも出ずに寝ていたので、大丈夫かと心配して来てくれたのだ。わざわざ来てくれたことに感謝し、自分の病状を伝え、体調も思わしくなかったのでそのまま帰ってもらったのだが、後日、色々な人になぜ家に上げてお茶を振舞わなかったのかと怒られた。本人たちもそのまま帰されたことに怒っていたとのことだった。病み上がりの自分へのいたわり以外の言葉に驚いたが、どんな状況でも来てくれた人にもてなしの言葉をかける必要性があること(もちろん、常識のある人は相手の状況をみて断るのだが、誘うことが重要なのである)と、そして風邪の時こそほっておいて欲しいと思い連絡もしなかった日本人の私と、頻繁に連絡を取り合い風邪の時でも見舞いも含めて一人にしないというエジプト人との違いがあることを学んだのである。
 Mさんは、私の父と同じ年であり、私と同じ年の息子が彼にもいることから、現地で他の人には私のことを息子のようだと紹介してくれる人である。そのMさんが、2014年に同地を訪れた際、帰国の日に、「次におまえがエジプトに来た時は、自分は生きていないかもしれない。そうしたら、墓に来て、クルアーンの開扉章を読んでくれ」と言うので、思わず号泣してしまった。近年、エジプトに行く度に、知っている人の訃報に接することが多くなった。日本人である私には、1年後に訪れる時に、まだ60代である彼が寿命で亡くなるとは信じ難かったが、エジプトの平均寿命が70才程度であることを思い起こせば、もう彼も晩年なのである。「アラブの春」は若者たちがその原動力となり、フィールドで出会ったこの前まで少年だと思っていた者が結婚し、あっという間に父になるのである。1年という時間のなんと早いことか。彼らの人生観や日常的な生活感覚を知ることがいかに大切であるか改めて痛感したできごととなった。
 こうした経験は、直接論文に書ける情報ではないかもしれないが、人類学のようなフィールドワークを通して積み上げていく学問の知識となり、現地を見る目を養い、自身の研究成果を伝える相手を説得する背景となる。また、現地調査は、自身の計画に沿って一方通行で行うものではない。現地で多くの人と知り合い、彼らと話し、自身の目的を語り、それについて彼らが示す反応からまた考える、こうした相互作用が、研究の形を作っていくのである。冒頭で挙げた出稼ぎ労働者に関する業績もこうした過程で生まれた。同郷者団体に関する情報を探すために、出稼ぎ労働者が多く集う通りを見つけてそこで団体に関して聞きこみ調査を試みるうちに、彼ら出稼ぎ労働者が都市でどのように仕事を得て、暮らしているかに関心を持つようになったのだ。また、彼らが、都市にある団体に加入しておらず、自らの家族・親族を頼りに仕事と住む場所を得ていたのも、後に団体の性格を考える際に参考になった。
 現地に出かける前に事前に計画を立て、それに沿って行動をするつもりでも、想定外の出来事は起こるものである。その時に、柔軟に現場から発想し、新たな発見をつかむのもフィールドワークの醍醐味である。自らと異なる環境で暮らす人々は、何を考え、悩み、笑い、怒るのか。そうした中から、彼らとの対話を積み重ねて、自らの学問を作っていきたいと思っている。

環境と開発

地域の視点から環境と開発を考える。

マレーシア・サバ州のアブラヤシ農園
マレーシア・サバ州のアブラヤシ農園

福武慎太郎(ふくたけ しんたろう)
地域研究専攻教員
専門:人類学、東南アジア地域研究

 開発と環境、国際協力といったテーマは、地域研究とすぐには結びついて想像することができないかもしれません。開発、地球環境問題、人権、移民、難民問題、平和構築など、いわゆるグローバル・イシューに関心を持つ人々は、国際政治、国際関係論を専攻とすることを第一の選択肢に考えるひとが多いと思います。もちろんそれが間違いとはいえません。ただし、地域研究とは単なる「事例研究(case study)」というのは間違いです。
地域研究は、ある特定地域の政治経済、歴史、文化などを総合的に理解する方法ですが、そうして得られた知識は、地域社会の様々な問題——民族、宗教紛争と難民問題、貧困と人道支援、人身売買、開発と環境破壊などを理解し、解決策を検討する上で極めて重要です。
 環境問題を例に考えてみましょう。インドネシアのカリマンタン島やスマトラ島では近年需要が増しているアブラヤシのプランテーションが急速に拡大し、熱帯林破壊が進んでいるといわれます。こうした実態に対し環境保護団体は、開発を進める多国籍企業や政府に抗議し、政府や企業側も、持続可能な開発を推進すべき努力も示そうとしています。しかし現在、企業以上の熱帯林破壊の担い手は、世帯規模でアブラヤシを栽培する小農のひとたちです。彼らの農園開発は生きていくための手段であり、それを全て否定することはできません。
 地域研究のアプローチは現場(フィールド)の視点を重視します。環境保護や生物多様性の保護の問題を、地域社会に生きる人々の生活や文化を守りながら考えることが大切であると考えています。地域研究の調査で得られた知識と経験は、他の地域の類似する問題を考える上でも必ず活きてきます。

【研究紹介─インドネシアのアブラヤシ栽培と農村社会】

小泉佑介(こいずみ ゆうすけ)
2014年3月博士前期課程修了
東京大学大学院総合文化研究科人文地理学教室(2015年4月現在)

 私はこれまで、インドネシアにおけるアブラヤシ栽培と農村社会の変容に注目してきました。アブラヤシのようにモノカルチャーな商品作物栽培は、大規模なプランテーション造成による環境問題や労働問題、人権問題など、様々な社会的課題を抱えています。しかし、その一方で、スマトラ島においては、小規模にアブラヤシを栽培する人々が急速に増加しており、農村社会にも大きな経済的利益をもたらしています。私はこうした現状に関心を抱き、修士課程では、農村社会の人々がアブラヤシを栽培するきっかけとなった、スハルト政権期の大規模な開発プロジェクトに着目しました。
 また、修士論文を執筆にするにあたって、主に政府の報告書などを分析対象としましたが、同時に北スマトラ州で1ヵ月間のフィールドワークも行いました。その中で、近年の小規模なアブラヤシ栽培には、スハルト政権期には見られなかったような、新たな流通システムが確立されていることを知りました。現在は、こうした流通システムや小規模なアブラヤシ栽培の拡大パターンが、農村社会全体にどのような変化を与えているのかについて研究を続けています。

インドネシア・スマトラ島におけるフィールドワークにて
インドネシア・スマトラ島におけるフィールドワークにて

地域を理解する(1)ブラジル

ブラジル北部ベレン NGOによるコミュニティの学校
ブラジル北部ベレン NGOによるコミュニティの学校

田村梨花(たむら りか)
地域研究専攻教員
専門:社会学、ラテンアメリカ(ブラジル)地域研究

 2014年のワールドカップ、2016年のリオデジャネイロ・オリンピック開催国として注目されるブラジル。資源大国、農業大国でもあり、近年は中間層も増加しビジネス・チャンスに溢れる国として国際的に関心が寄せられています。ある国・地域を「知りたい」と感じ、地域研究を目指すひとは多いでしょう。その時、自分の問題意識に沿う専門分野(ディシプリン)だけでその地域をとらえるか、あるいは政治、経済、社会、地誌、文化といったさまざまな角度から地域全体を理解するかというアプローチの差は、研究に大きな違いをもたらします。

 例えばブラジルを知ろうとする時、経済大国に潜む「リスク」として、貧富の格差や治安の問題はネガティブな社会的特徴として現れます。地域研究では、そのような特徴の考察に、地域のもつ歴史的文化的背景を重要な分析点とします。その際、植民地としての歴史をもち、独立後は一部のエリート層による国家建設が進められ、21年間という長い軍事政権の時代を経験した国として分析するだけではなく、そのような社会状況から自分の生活を守るためにブラジルの市井の人々がどのように挑戦してきたのかという視点を大切にします。政治活動が禁止されていた軍事政権下でも失われることのなかった自らの権利を求める民衆運動が民主化に果たした役割、各地に存在する文化的多様性を尊重する試みや生活環境を守る実践例など、社会を形作る主体として地域の人びとの活動を動態的に分析するアプローチは不可欠です。

 そのための基礎的能力として、調査地で話される言語の習得は地域研究を志す者にとっては至極重要です。その地域の文化そのものである言語を身につけることにより、二次資料の分析や人びとの語りから学ぶためのフィールドワークは初めて可能となります。英語が普及していないブラジルについていえば、ポルトガル語の能力は圧倒的に調査の質に影響します。現地に足を運び、ブラジル社会のダイナミクス、人びとのバイタリティとホスピタリティを肌で感じ、地域で継承される多様な文化に触れること。そのような体験はブラジルを研究対象としてではなく自分の一部として近しい存在とするでしょう。

 特定の国や地域を学際的アプローチによって知ることにより、想定外のイシューを発見し、気がつけばその地域の虜になると同時に、自文化を相対的に見ることにもつながる。地域研究は、そのような未知の広がりを持つ魅力に溢れた学問ともいえるでしょう。

世界遺産

地域研究的アプローチとは

アンコールワット
アンコールワット

丸井雅子(まるい まさこ)
専門:考古学、東南アジアの文化遺産研究

 世界遺産について今ここであらためて解説する必要はないかもしれません。しかし、地域研究として世界遺産を研究することの動機や目的は、実は私自身も試行錯誤を繰り返しながら追求しています。

 私の経験をお話ししましょう。東南アジア考古学を志していた院生時代の私は、ベトナムをフィールドワークの場としていました。1991年から93年頃のことです。ベトナム戦争を経験し乗り越えた多くの研究者との出会いを通じて、当時の調査体制や彼ら研究者を取り巻く社会環境に触れました。その延長線上で研究者と国家について、さらに学問分野である考古学や文化遺産研究あるいは研究対象である遺跡や文化遺産と国家との関係をやや客観的に考察することになりました。1994年からはカンボジアへフィールドを移しました。内戦を経て1993年に国連監視の下で総選挙が実施されたカンボジアは、まさに国家復興の真っ只中でした。私のカンボジア渡航は、国際文化協力の一環としてアンコール遺跡の保存修復事業に携わり、且つカンボジア人大学生の発掘現場実習を指導することを目的としていました。1990年代、私は考古学を専攻しつつもその対象地域であるそれぞれの国家の歴史的背景や社会環境における遺跡や文化遺産の役割や機能を、やや客観的に第三者としての視線から深く考える機会を得ました。しかし一方で特にカンボジアでは、内戦からの復興支援を大前提とした自分自身の立場に基づき、日本人考古学者としてカンボジアという国家や地域の人々とどのように向き合っていくのかという自問自答が多くなりました。海外において初めて、研究者が自身の帰属する国家とは切り離せない存在であることを自覚するに至り、同時に日本と地域との歴史的な関わりをより強く意識するようになったのである。これが、私が自分を地域研究者であると自覚するようになった経緯です。

 この地域研究専攻で世界遺産を研究するということは、世界遺産だけを見ることとは異なります。世界遺産とそれを取り巻く地域や人々の歴史・文化あるいは政治・国際文化協力といったきわめて現代的な課題について幅広い視野を意識することです。広く浅く、という意味ではありません。ある地域を理解するためにグローバル・イシューとしての「文化遺産」に注目し、グローバ/ローカルそれぞれの視点から文化遺産をめぐる現代社会の諸問題に気づき、特に地域のひとびとへどのような影響が及んでいるのかを史資料・文献、インタビュー調査などを通じて理解することを目指す学問です。地域のひとびとへの理解と尊敬を基盤として、彼らと文化遺産の関係をみつめなおしていきましょう。

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