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ブラジル短信(1)~22年ぶりのポルトアレグレ

矢澤 達宏

研究休暇中のポルトガル語学科教員、矢澤です。
去年、西アフリカから予告した通り、今度はブラジルから短くお伝えします。
といっても、新年早々の日本を後にやってきたブラジルでの滞在も、残すところあとわずかとなってしまいました。
例によって慌ただしくて恐縮ですが、「滑り込み」でこちらでの研究・調査の一端や街の様子など、お届けしたいと思います。

今回の滞在はサルヴァドールから始め、サンパウロ、ポルトアレグレ、リオデジャネイロの順でまわり、最後にサルヴァドールに戻るという行程です。
いまはリオデジャネイロ最後の夜を過ごしています。
最初の1週間くらいは、時差ボケなどもあり、どうしてもあまり調子が上がりません。
わずか4泊の滞在でしたが、だいぶ調子の出てきた頃に滞在したポルトアレグレについてお伝えします。

私はブラジルに関しては、黒人の歴史や人種間の関係について研究をしています。
だったら、なぜポルトアレグレに行くのかと、ブラジルを少し知っている人なら思うかもしれません。
というのは、ポルトアレグレのある南部は白人が相対的に多く、黒人は少ないからです。
しかし、ポルトアレグレやリオグランデドスル州の他の都市には、19世紀末以来の長い黒人運動の歴史が実はあります。
最近、研究が進み、その実態が明らかになってきました。
私がとくに注目してきた黒人新聞も、ポルトアレグレやペロタスなどで19世紀末から20世紀前半にかけてかなりの号数が刊行されています。
一昨年、イベロアメリカ研究所のEncontros Lusófonos(No. 18)にそのあたりのことも含む研究ノートを書いたので、もし興味があればご覧ください。
おおざっぱな言い方ですが、南部ではマイノリティとしての立場がより際だったという面はあったかと思います。

そんな背景があり、入手できていない関連の研究書も何点かあったので、久しぶりに南部に行ったわけです。
ポルトアレグレといえば、上智が交換留学協定を結んでいる大学もあり、学科からは毎年のように留学生が行っているので、ポルトガル語学科ではおなじみの街です。
ですが、私自身はこれまであまり縁がなく、訪れたのはサンパウロに留学していた1995~96年に一度きりでした。
そのときは完全なツーリストでしたし、当時のことはほとんど覚えていません。
22年ぶりに訪れたポルトアレグレは実質、はじめてのようなもので、とても新鮮でした。

旧市街の一角に古書店(兼一般書店)の集まっているところを見つけました。

教員ブログ画像(矢澤20180131)01

今世紀に入るか入らないかの頃から、ブラジルは出版事情が改善されて、重要な書籍は再版されることも多くなり、また私の滞在時間も限られていることもあって、最近は古書店をめぐることも減っていました。
昔はよく古書店をまわりましたが、ポルトアレグレでははじめてです。
いかにもという感じの店内で、昔を思い出して、とても懐かしく感じました。

教員ブログ画像(矢澤20180131)02

目当てにしていた書籍のいくつかも幸い、手に入れることができました。
ブラジルは、ある地方で出版されたものは、他の地方ではなかなか入手しにくい傾向がいまだにあります。
南部で出版された書籍は、やはり南部で探した方が見つかりやすいと実感しました。

旧市街に来たついでに、ポルトアレグレの黒人新聞の草分け、O Exemploの編集部のあった場所を訪ねてみました。
同紙の編集部は、何度か移転をしているのですが、記念すべき第1号(1892年12月11日号)に記載のある最初の住所に行ってみました。
通り自体は、いまでは庶民的なレストランの並ぶわりとにぎやかな通りですが、番地はその通りの終わりに近い、旧市街の端っこの方でした。
いまは静かな住宅街となっているようです。
(黄色いクルマの1台後ろのクルマが停まっているあたりが編集部の住所)

教員ブログ画像(矢澤20180131)03


いまからさかのぼること125年あまり前に、ポルトアレグレの黒人たちがここから声を上げ始めたのかと思うと、感慨深いものがありました。

今日はこのへんで。
また続きをお伝えしたいと思います。