難民施設でのボランティア

藤井里奈

 留学をしていると、日本とドイツの違いについて聞かれることがよくあります。文化的な違いを挙げればキリがないのですが、国家レベルの大きな違いとして『難民の受け入れ態勢』が挙げられると私は考えています。

―“140915” と “27”― 
 この数はドイツと日本で2015年に難民として認定された人数を表しています。その差は5219倍。第二次世界大戦で同じ敗戦国になりながら急速な発展を遂げてきた両国に共通することはたくさんあるのに、難民の受け入れ態勢には大きな違いがあります。そこで、ドイツの難民受け入れという日本にはない一面をこの目で確かめてみたいと思うようになりました。

 上智大学の在外履修と交換留学を合わせた1年半のドイツ滞在期間を利用して、まずは留学先のハイデルベルクの近くにある難民キャンプでボランティアに参加することにしました。

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難民施設への道、街からは少し離れたところにあります


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元はアメリカ兵が居住していた施設

 難民キャンプというといわゆる仮設テントを思い浮かべる方が日本には多いと思いますが、私がボランティアを行なっているところは、第二次大戦後にアメリカ兵とその家族が居住していた住宅施設一帯です。ここはさながら小さな村のようになっていて、中には共同のジム、シャワールーム、売店などが揃っており、24時間常駐の医師やボランティアスタッフと共に約1500人の難民が生活しています。元々ホテルだった建物は「女性棟」として夫を亡くした女性と子供達が生活しています。食事は毎食配給され、衣類はドイツ各地から届く寄付が難民の手に渡ります。初めて施設に案内された時、イメージしていた難民キャンプよりも遥かに整然とした施設環境に圧倒されました。さらに驚くべきはこれらの施設の運営のほぼ全てがドイツ国内の企業による支援とボランティアによって成り立っているという点でした。

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いくつも並ぶこれらの棟の中で難民は生活をしています


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ドイツ語の授業が開講されている建物

 

 私が施設で行なっている活動は青少年対象のドイツ語教室、及び女性専用のカフェでドイツ語を教えることです。これらの2つの教室は毎日午前10時~12時まで開いており、これもまた日替わりのボランティアによって成り立っています。

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ある日の授業の様子


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みんな熱心にノートを取っています

 難民によってドイツ語のレベルは本当にバラバラです。ドイツ語で難なくコミュニケーションを取れる人もいれば、英語を交えながらなら理解し合える人、あるいは母国で学校に通えないまま識字能力のない人もいます。さらにドイツ語に対するモチベーションにもばらつきがあります。必死になって授業中にメモを取る人もいれば、慣れない環境へのストレスによる体調不良で最後まで授業に参加できない人もいます。今まで教育分野に一切触れてこなかった私にとって、彼らとコミュニケーションをとることは本当に難しく、日々その方法を模索している状態です。

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授業のスタイルは様々で、この日はグループに分かれてディスカッションを行いました


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女性専用カフェで行ったドイツ語のゲーム

 それでもこちらが必死になって授業をしていると、彼らも習いたてのドイツ語で「Danke(ありがとう)」と何度も言ってくれます。また、難民施設に来た頃は表情も暗かった子が、ドイツ語を交えたゲームをしたりしているうちに笑顔になっていたり、心が温まる瞬間もたくさんあります。さらに他のボランティアと一丸となってあらゆる課題に向き合う毎日はとても充実しています。私自身ボランティアというと奉仕をする人というイメージを持っていましたが、実際は私の方が彼らから学ぶことが多いです。

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帰り道は一面に広がるお花畑に癒されます

 コツコツとドイツ語を学んでいる彼らですが、もちろん一番良いのは母国に帰って元の生活に戻ることです。しかし彼らが命がけでドイツまでやって来たのにはそれ相応の理由があったからであり(不法難民もいますが)母国に帰れる状況ではありません。彼らがこのままドイツに残ることになった時、ドイツ社会で仕事を見つけ自立した生活ができるようになるまでにはあとどれだけの時間と支援が必要なのだろう…と考えると途方にくれてしまいます。難民認定の手続きを終え、市内に住居を確保した難民はドイツ政府から月々約330~370ユーロが支援され、働きながらドイツ国内で生活を営むことになります。

 これだけ多くの難民の人命に責任と希望を持ち、彼らの未来に対し多大な支援をし続けるドイツの国家の在り方は、複雑なグローバリゼーションが進む現代において「異文化の壁を越えた世界のリーダー」としての理想的な姿だと感じました。もちろんドイツ国内で難民の受け入れに対する反発の声が根強いのも事実です。難民の受け入れに必要となる資金や労力はドイツの内政に使うべきだという意見や、難民がドイツの治安悪化を招くといった反対意見も周知の通りです。しかし、ユダヤ人大量虐殺という悲惨な過去と真摯に向き合ってきたドイツだからこそ、今までどの国も成し遂げてこなかった難民と市民が共栄できる新しい社会の構築を実現して欲しいと願っています。

 日本にいると難民問題はどうしても他人事のように感じてしまいます。だからといって、今すぐ日本も難民を大量受け入れるべきだ、などと無茶なことを言いたいのではありません。しかし、近隣諸国のフィリピンでIS系勢力が台頭していることや、北朝鮮と近隣諸国の今後の動向によって、いずれ日本でも難民と共生する社会が求められる時がやってくるかもしれません。そのような時に島国で異文化への免疫があまりない日本で混乱を起こさないためにも、難民問題で舵をとるドイツの行く末をしっかりと見守っていく必要性があると思います。

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ネッカー川の夕日

 ハイデルベルクでの交換留学はまだ始まったばかりであり、幸いなことに私はあと1年間ここで学ぶことができます。夏休みには弁護士事務所でインターンシップを行い、難民がドイツ社会で自立するための核となるドイツの労働法について実情を調べる予定です。また、ドイツがこれほどの支援を続ける中でそれを支える国民の精神性や倫理観、青少年への教育や文化的視点等々についても大学での勉強と重ね合わせながら考察をしていきたいと考えています。1年は過ぎてしまえばあっという間なので、1日1日を大切にしながら残りの留学生活を全うするつもりです。

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大学の友人との誕生日パーティー