日本シックになっちゃった

近藤穂香

 はじめまして、ハレ大学に留学している近藤穂香と申します。こちらに来てから約5か月が経ち、残す留学生活も僅かとなりました。相も変らずドイツ語は苦手だけれど、留学って別に語学習得のためだけにあるものではないしーと割り切り、なるべく楽しく生きていこうという所存でございます。 

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街の中心地にあるMarienkirche
ハレの晴れは綺麗!

 

 そんな私がここでお話ししたいのは「日本シック」についてです。これから留学予定があるよ!将来は海外に飛び出していきたいよ!という人々に声を大にして伝えたい、日本シックの深刻さを。

 ドイツに到着した次の日から私はテレビ電話で母に「帰りたい帰りたい」と嘆いていました。語学講座の授業に全くついていけないし、他人と食事をとるのが苦手な私はホストファミリー宅で出されるご飯に手をつけられずだし、外でネットが使えないから気分転換の散歩に行くのも怖い。朝8時から13時までドイツ語の授業に参加し、14時にホストファミリー宅に帰宅し、15時から母と2時間電話し、夕飯の席につき、しくしく泣いて疲れて寝る。そんな毎日でした。いわゆる外国人の友達たくさん作って、ビールとソーセージでお腹を満たして、ドイツ語もばりばり勉強する「理想のキラキラした留学生活」とはかけ離れていました。自分の人間的弱さを痛感する日々、それが私の留学でした。 

 ペンを持つ手が震えて勉強もままならない、電車に乗っているときに涙が止まらなくて靴紐を結ぶふりをして誤魔化す、食べ物も喉を通らないので毎日フラフラ、こんな状態が続き、遂に私は熱を出し咳が止まらなくなりました。(暗い話でほんとにごめんなさい)

 留学以前のわたしは「中高生の頃は成績も良かったし、大学の単位もちゃんと取れてるし、過去にバスケットボール部のキャプテンとかやっちゃってたし、6ヶ月間の留学なんてちょろいやろ」と高を括っていたのです。フィリピン留学した時は日本に帰りたくないくらいだったから、ドイツ留学も楽しいだろうなと強気だったのです。今まで困難や辛いことがあっても乗り越えたから、ドイツ留学もちゃんとできると自信があったのです。ところがどっこい実際には、スーパーでお菓子をねだって床に転がる子供のように泣く弱虫だったことにドイツに来て初めて気づいたのです。

 いわゆるアイデンティティの崩壊を経験しました。日本に帰りたい症候群つまるところ【日本シック】を通して、自分とはどんな人間であるかについて深く深く考えることができました。自分のことを誰も知らない土地で、自分の本当にしたいこと、好きなこと、嫌いなこと、やらなくちゃいけないことに気づくことができました。

 先述の通り、留学とは語学習得のためだけにあるものではありません。住み慣れた祖国を離れ、様々なカルチャーショックを経験し、人間的成長をする期間なのです。生きるって難しいなあ、大変だなあ、ってしんみりしちゃう時間が多いのが留学生活だと自負しております。

 話を戻しまして、体調不良は一週間以上続きましたが、何とか保険会社さんと連絡を取って、病院に行き薬を処方してもらいました(私の陳腐で拙いドイツ語で診療してくれたお医者さんに感謝)。そしてクリスマスお正月休みには「日本に帰る」という大胆な決断を下し、実際に10日間だけ日本に帰りました。

 その結果、現在は、見事に日本シック解消!勉強頑張る!毎日お野菜もりもり食べる!ヨーロッパ旅行の計画も立てる!ああ楽しい!という明るくポジティブな心境です。残された少ない時間でドイツ語も頑張ってみよーうと思っています。

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ハレ大学のライオン(日本橋三越を彷彿とさせる)

 この私の経験から申し上げたいのは、誰にでも日本シックになりうるということです。慣れない異国で自分の好きなこともやりたいこともやらなくちゃいけないことも何にもできなくなってしまう可能性を誰もが秘めているということです。

 このブログをお読みの皆様は留学を楽しみにしている人が大半だと思います。だからこそ、留学の明るい側面ではなく、ダークな部分をさらけ出してみました。楽しいことだけが留学ではないことを頭の隅っこにでも置いておいてほしいのです。そんなこと知ってるよ!って思う人にもどうかわかってほしいのです。

 

 暗くてどうしようもない文章になってしまったことをお詫びするとともに、最後まで読んでくれた方に感謝申し上げます。このブログが少しでも誰かの支えや助けになったらそれほど嬉しいことはありません。

 以上、根暗で気分屋で人間的戦闘能力が低い近藤穂香でした。再度、読んでくれた方、本当にありがとうございました。