ぼくらはみんな、生きている

宇野暁彦

こんにちは。ドイツ語学科三年の宇野暁彦です。大好きなサッカーの休憩中は、大好きなビールで水分補給をしています。ケルンでの交換留学生としての(一年間の)経験をまとめたいと思います。

ケルンの街の雰囲気、大学の授業などについては既に前の人たちが紹介してくれているのでよしとして、今回僕はケルン大学で所属していたサッカークラブで感じた事について、せっかくなので今までのブログ達に負けないくらい長々と書こうかと思います。

ドイツにおけるサッカー・ブンデスリーガでは三つの部に分かれ、計56ものクラブが熱い試合を繰り広げています。観客動員数は非常に多く、国民のサッカーに対する情熱が伝わってきます。

ケルンも例外ではなく、週末街を歩けば公園の至る所でサッカーをしている人たちを見かけ、時にはそこに混ぜてもらってケバブ屋のおっちゃんや、いかにもインドカレーを作ってそうなお兄さんたちと削り合ったりもしました。サッカーは世界をつなぐスポーツであると再認識しました。夏学期の半ば頃、関西の大学から留学にきていた友達に誘われて以来、大学のサッカークラブでサッカーをする事になりました。メンバーと初対面で挨拶をするとき、そこにはギリシャ人のような彫刻顔、僕のような平たい顔族など外見だけでも人種多様性を感じる人たちがいました。着ている服を見てみると、クロアチア、イタリア、ギリシャ、中国など各国代表ユニフォームを着ています。しかし不思議な事に、ドイツ語を流暢に話しているではありませんか。そこで質問してみたところ、彼らの生まれはドイツ国外で、育った地がドイツ国内なのだそう。ドイツで生まれ育った人でも両親の一方がドイツ以外の場所で生まれている場合など、パターンは様々です。僕のルームメイトだったドイツ人男性も、ルーツはドイツ以外にロシア、カザフスタンにあります。至極当たり前かのように話す彼らですが、生まれた時から日本で生活してきた僕にとっては新鮮で衝撃的でした。

僕は中学生の頃からサッカーをしていますが、外見の異なる日本人以外の人とサッカーをした事は今までほとんどありませんでした。日本の、特に芸能界の間ではハーフブームが巻き起こっています。雑誌の表紙はスタイルの良いハーフのモデルさんたちでいっぱいです。できる事ならその強烈な目ヂカラとそれを際立たせる深い彫りを是非とも頂戴したいものです。何せ、平たいものですから。このブームの背景として、日本のグローバル化が進んでいる事、各国との交流が深まる中で文化や言葉の壁を取り除こうと、以前は閉鎖的であった日本が国際社会に加わっている事が挙げられます。これからも俗に言うハーフや、海外から日本に移り住む事になる日本人がますます増える事でしょう。しかし、一括りにできない多様なバックグラウンドを持った人たちが暮らしているドイツからしてみればこの、とある国の人以外の人がそのとある国で増えている現象はもはや当たり前な事です。日本社会の移民の人たちに対する姿勢は保守的であり、さらに社会保障制度、選挙権の問題など、改善するべき点はまだまだあります。

僕はちなみにローラさん、シェリーさんあたりを推しています。ローラさんの、あの天然っぽい様子からは想像できない芯の強さ、仕事に対する姿勢。またシェリーさんの出演している、「英会話講座、リトル・チャロ」での流暢な英語力、どんな時も明るく笑顔な振る舞い、さすがプロだなと。

クラブのメンバーの一人に「人種についてどう思うか」と尋ねてみたところ、「見た目の印象を左右する身体は単なる入れ物に過ぎない、中身は見えないけど心臓、脳みそ、骨があって感情がある。その点ではみんな同じ」という答えが返ってきました。未だに人種差別はとどまることなく、ドイツ各地でも排斥運動が行われています。しかし多種多様な文化が街に根付いており共存しています。人種が混ざり合う国だからこそ国民の異文化に対する知識が深く、長年を費やし妥協点を見出してきた努力が現在の、世界的な産業国であり、アメリカ合衆国に次ぐ世界第二位の移住地であるドイツ社会を作り出したのだと思います。依然として日本人と外国人の壁は分厚いままですが、2020年東京オリンピックに向けた国際化の動きが、少しでもその壁を解消できたら良いなと思っています。

ヨーロッパ最大級であるケルンのカーニバルは大盛況のうちに終わりました。カーニバルに際して、沢山のビールが僕の胃袋に消えていったと同時に、僕の記憶も消えていきましたが、ケルンでの留学生活は最高の思い出として記憶に残ることでしょう。これからの将来においては、留学を通して学んだ事を活かしていきたいと思います。

a-uno