VOL.20
1986年卒業
映像翻訳者
吉川美奈子さん
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ドイツ映画字幕翻訳の原点

皆様、はじめまして。翻訳者の吉川美奈子と申します。ドイツ映画やドラマに日本語字幕をつける仕事をしております。帰国子女でもなく、留学経験もない私が何とかドイツ語の仕事に関わっていられるのも、ドイツ語学科で鍛えていただいたおかげだと、今も感謝しております。このたび、こちらのブログに寄稿する貴重な機会をいただきましたので、自分の仕事の原点を振り返ってみました。

●大学入学後
ドイツ語を始めたのは大学に入ってから。教科書は「青本」と呼ばれ、代々使われてきたそうです。先生の手作りで、カセットテープの音声教材もありました。私たちの学年で終わり、翌年から新しい教材になったと聞きました。
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30年以上経った今でも、Mutter, wir haben Post! や Herr Wachtmeister, wo ist der Dom, bitte? といった例文が記憶に(そして先生のお声が耳にも!)残っています。18歳でしたから、いくらでも頭に入ったのですね。あの頃もっと勉強しておけば、翻訳も楽勝だったかもしれないのに…。少年老い易く、学なんとやら、です。

●学科のドイツ旅行に参加
大学3年生の時、神父様の先生に引率していただき、2か月間のドイツ旅行へ。ドイツ語学科と独文学科の希望者が参加しました。ハイライト(?)は小さな町でのホームステイ。町が私たち一行を歓迎してくれ、集会所で歓迎会を開いてくれました。私たちも何か出し物を… ということで、浴衣を着て盆踊り(炭坑節)を披露したのでした。後にも先にも、ドイツで「掘って~掘って~また掘って~♪」を踊ったのはあの時だけ。ああ、若さゆえに怖いもの知らずだったのでしょうか。地元紙にも載ってしまいました(新聞沙汰?)。
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この旅行のあと、ドイツに住んでみたい!という思いが高じ、デュッセルドルフの日本企業に応募。現地採用という形で勤めました。この求人情報も大学で見つけたものです。休みはせっせと貧乏旅行であちこちを回りました。特に東ドイツが好きで、ビザを取って何度も遊びに行きました。壁が崩壊する前の東ドイツを見た経験は、映画の翻訳で大変役に立っています。

●1秒=4文字の世界へ
字幕翻訳を始めたきっかけは、偶然でした。ある字幕翻訳家の先生がドイツ映画の翻訳者を募集しておられ、それに応募して弟子入りしたのがきっかけです。「セリフ1秒につき日本語4文字」という制約の中で訳出する面白さに惹かれ、夢中になりました。1本の映画を10日ほどで訳します。締め切りとの闘いで体力的にもキツいのですが、せっかちな性分の私には合っているように思います。

ドイツ人は徹底的に過去と向き合っているとよく言われますが、それは映画界でも同じです。もちろん、ラブストーリーや冒険ファンタジーなどもたくさん作られています。しかし様々な角度から何度も描かれてきたのがナチに関わるテーマです。それと並んで壁崩壊前後の東西問題、そして移民問題。この3つは、これからも繰り返し描かれていくのでしょう。ある監督が語った言葉が心に残っています。映画は答えではなく、問いかけなのだと。まさにそのとおりです。また、映画は時代を映す鏡であり、ドイツの映画史を追うとドイツの歴史が見えてくる気がします。

生まれて半世紀以上が過ぎ、失敗や後悔も多いのですが、「やっておいて本当によかった!」と今でも思っていることがあります。大学でドイツ語を専攻したこと、そしてその後(期限付きではありましたが)ドイツへ行ったことです。翻訳の仕事は奥が深く、経験を重ねれば重ねるほど自分の未熟さを痛感します。だから病みつきになるのかもしれません。きっと死ぬまでそう思っているんだろうなぁと思う今日この頃です。

 <主な翻訳作品>
「アイヒマンを追え! ナチスが最も畏れた男(Der Staat gegen Fritz Bauer)」(2016)
「帰ってきたヒトラー(Er ist wieder da)」(2015)
「ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)」(2012)
「東ベルリンから来た女 (Barbara)」(2012)

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