VOL.15
1989年卒業
東京大学大学院総合文化研究科教授
森井裕一さん
morii-1-20150531

ドイツとヨーロッパの最近の動向

(2015年5月31日に開催された第3回外国語学部ドイツ語学科同窓会・新企画として、ヨーロッパ・ドイツ政治の専門家として活躍されている森井裕一東京大学大学院総合文化研究科教授(外独1989年卒業)による「ドイツとヨーロッパの最近の動向」という講演が行われました。)
(講演の文字化には、1977年卒山田洋子さんにご尽力いただきました。)

挨拶・紹介
(森井裕一教授の1年後輩でご専門も同じ河崎健教授より、森井教授のご経歴の紹介があり、和やかな雰囲気の中、講演は始まりました。)
河崎教授:
外独同窓会は、さまざまな分野で活躍されている卒業生OB・OGの方々のお話しを伺う企画を立ち上げ、第一回目の今回は、1989年卒の森井裕一さんにご講演をお願いすることになりました。ご経歴をご紹介します。
森井さんは、1989年に本学卒業後、同年東京大学大学院総合文化研究科国際関係論専攻修士課程、博士課程に進まれ、1991-92年DAAD(ドイツ学術交流会)奨学金給付生としてドイツのマインツ大学政治学科に留学されました。その後、1994年10月から、琉球大学 法文学部専任講師、1999年1月から筑波大学 国際総合学部専任講師、2000年から東京大学大学院総合文化研究科助教授になられました。 2014年4月には東京大学ドイツ・ヨーロッパ研究センター所長に就任され、2015年4月から東京大学大学院総合文化研究科教授でいらっしゃいます。ご専門はヨーロッパ・ドイツ政治で著書も多数出されています。例えば、「ヨーロッパの政治経済・入門 」(2012年、有斐閣ブックス)、「現代ドイツの外交と政治」(2008年、信山社)等です。ヨーロッパ・ドイツ政治のエキスパートでいらっしゃり、最初にご講演いただくのに、ふさわしい方だと思います。 (拍手)

ドイツとヨーロッパの最近の動向」―

(最初に、森井教授ご自身が学生時代に撮影された壁の存在する東西ベルリンの写真を比較されながら冷戦時代のベルリンの様子を説明され、2015年の今年は1990年10月3日の東西ドイツ統一から25周年になる年であることや最近のドイツ社会の変化について触れられました。) 

「ドイツ統一から25年」―世界が変わったので変わらざるを得なかったドイツ―

1989年9月11日にベルリンの壁が崩壊し、あっという間に25年の歳月が経過しました。その中で、ドイツ社会はどのように変わり、現在どのようなところに立っているのか政治学の観点から、限られた時間ですが、ドイツ・ヨーロッパの状況を分かりやすくお話しします。

「変わらないドイツ」と「変わるドイツ」

まず、ドイツは東ドイツが西ドイツに組み込まれただけなので、基本的な国の制度は連邦共和国のままで変わっておらず、主要政党も、1949年から1989年までその政策を変わらずに継続しています。国の骨格を変えずに統一したにも関わらず、時代や世界情勢の変化によって、大きな変革が行われ、今日はいろいろなチャレンジに対応しようとしています。日本も同じような環境状況にありますが、日本は意外と動いていません。例えば、安全保障政策を例にあげると1994年にドイツは連邦憲法裁判所の判決で、議会が承認すれば連邦軍を世界中どこにでも派遣し、軍事活動ができるという憲法解釈に変わりましたが、現実的に、実行されるというわけではありません。また、実際、連邦軍には米軍のような高度な能力はありませんし、例えば軍用機が不足している等、さまざまな制約があるため、現実的には難しいのですが、原則論としては20数年の間に大きく変わっています。

 20数年の間に変わってきている現実とは、例えば、ブラント・シュミット政権時代と異なり、失業保険の給付条件が厳しくなったことや店舗法、マイスター制度等、シュレーダー改革により労働市場中心に大きく変化があり、約10年前、連邦政府と州政府の権限関係が大きく変わり、社会面では 2000年に国籍法の改正で純粋血統主義から、出生地主義に踏み出し、移住法で移民に関する法律も変えられました。

特にEU(欧州連合)に対する考え方でいうとドイツは結構変わっています。例えば「ドイツのための選択肢」(Alternative für Deutschland (AfD))という政党が結成され、2013年の連邦議会選挙では5%以下の得票率しか得られず、議席を獲得できませんでしたが、昨年のブランデンブルク、ザクセン、テューリンゲン、ハンブルク各州、欧州議会などの選挙では、5%を超え、議席を取っています。AfDという政党が云々ということより、ヨーロッパ統合はすばらしいとアデナウアー政権以来コール首相の時代までずっといってきましたが、1993年のマーストリヒト条約で共通通貨ユーロを導入するあたりから潮目がかわってきています。その変化は20年たってみると、かなりいろいろなところに浸透してきていて、かなり大きな変化があるかもしれません。 

AfDや「西欧のイスラム化に反対する欧州愛国者」(PEGIDA)という政治運動の支持層をみると、以前そのような活動には加わらなかったような社会のコアにいた階層の人々が参加しているので、少し不気味な印象を受けます。

しかし、大枠でいうと、国民投票がワイマール帝国時代に悪用されたという反省に基づき、安定的な政治を保てるシステムになっているので、極端な思想の政党が進出するというような危険は回避されています。後半に述べますシュレーダー改革による影響で東独の政党の流れをくむ人が州の政権を担うような変化があります。社会制度の改革で福祉の切りつめに反感をもち平等や労働者の権利を主張する人々が左派党を支持しています。PEGIDAは月曜の夜に反イスラムデモを行い、その内容は多様ですが、いろいろ気持ちの悪い事件がおきていて、外国人に寛容だった以前と異なる社会の風潮があります。しかし、中央政府の基盤はゆらいでいないので心配は不要ですが、前述のような変化は中長期的にみると社会に何らかの影響を与えるのではないかというのは否定できません。

―ユーロ危機とドイツ・シュレーダー改革後の変化―

EUとドイツの問題は経済面がかなり大きく、また、外から見るとドイツは非常に豊かで、政治が安定していて、メルケル首相を「ナポレオン」と並ぶような政治家という風刺もあります。統一前のドイツと異なるのは、政府の行動を縛るような国内の制度ができあがっており、政府が自由に行動できないというのが今のドイツの大きな特徴です。それは、「国内制度による制約」(Domestizierung)と呼ばれる変化です。EUで交渉をした内容は、逐一議会に報告をしないといけないシステムになっており、また、連邦憲法裁判所のさまざまな判決による拘束もあります。

「ギリシャ問題について、ドイツ人が努力をしたのに、ギリシャが借金をしてEUから離脱するのは仕方ない。もしくは、イギリスの現在のキャメロン政権との関わりも、以前だったら、重要なパートナーでしたが、EUからイギリスが出ていくのも、仕方がない」というような考えの人がSPDやCDUといった既成政党の中でも増加しているというのも変化だと思います。

その背景としては、ドイツ国内では、「この10年、痛みをともなう改革をしてたいへん苦労してきたのに、なぜヨーロッパの周囲の人はわかってくれないのか」というフラストレーションがかなりあるからです。約15年前のコール政権末期~シュレーダー政権初期にかけて、ドイツはヨーロッパの経済的病人のように非常にネガティブにとらえられていました。 当時、経済的にドイツは停滞し制度改革はうまく進まず、競争力を失い、グローバル展開しているドイツの大手企業は国外へ出ていき、産業立地としてのドイツは危惧されました。それをうけて2003年ごろからシュレーダー改革が行われました。すなわちドイツ国内の規制緩和を行い、とりわけ労働市場を改革することによって、労働コストを大きく引き下げて、ドイツの競争力を高めました。これらの改革は、ドイツの財政赤字も大きかったので、EUの財政規律に関する基準も守りつつ厳しい条件の下で実行されました。お金を節約して、福祉も切り詰め、 非常に厳しい財政政策を設け、直面した人々にとっては厳しい政策でした。

例えば、従来は失業保険をもらいながら次の仕事を見つけるまで、のんびり生活できましたが、今では次の仕事は前と同じでないといけないという厳しい条件で、失業保険が切り詰められ、長距離通勤も受け入れざるをえなくなり、失業保険と生活保護が一体化されているので、以前とは大きく変わりました。ドイツのマイスター制度や店舗の営業時間も同様です。以前はマイスター資格がないとできなかった仕事も減り、簡素化されました。私の学生時代は、ドイツはお店がいつも閉まっているというイメージでしたが、今は週末や夜でも開いている店があります。店舗の営業時間に関する法律も変わり各州で自由に営業時間をきめられるようになっています。

前述のような痛みを伴う改革や緊縮財政を行い、経済はスリム化し、強靭になり、EUの中で競争力をドイツは回復しました。逆にそこで苦しい思いをした人々からみると、政治に批判的な人も沢山いて、左派党がそれなりに大きな影響力を維持しているところもあります。しかし、これしか道がないという信念で現在の政権は、ぶれずに国政を運営しています。

(参考 ブラント首相(SPD) 1969年‐1974年・シュミット首相(SPD) 1974年‐1982年・コール首相(CDU) 1982年‐1998年・シュレーダー首相(SPD) 1998年‐2005年・メルケル首相(CDU) 2005年‐現在)

―「積極的外交政策」への転換―

最後に外交政策について一言述べたいと思います。

ドイツと世界との関わりというのも非常に大きく変わってきています。また、ヨーロッパを取り囲む環境も非常に変わってきています。例えば、テロによる脅威や難民の流入に対応しないといけません。しかしドイツは単独で行動せず、あくまでEUの枠組みの中で、EUの制度を発展させながら、貢献するという多角的に対応する態度で、すなわち、「総合化・統合化、多角主義で、展開している」ということが重要です。

EU、国連、欧州安全保障協力機構(OSCE)等の多様な制度を使いながら、その中でドイツは貢献しています。しかもそれは単に安全保障で紛争があるからそこに出て行って抑えるという単純なものでなく、開発援助、社会秩序の回復、健康、人権等を総合的に統合化することによってEUの枠組み内で展開するというのがドイツ外交の特徴だと思います。新しい安全保障上の脅威、すなわち、テロ、エボラ熱などの伝染病、難民の問題だけでなく、一昨年くらいからロシアが東部ウクライナで緊張をはらむ行動をしているというかなり厳しい状況が起こっています。冷戦時代とは異なりますが、そのようなたいへん厳しい状況下で、ドイツは、EU内で大きな責任を担うということで周辺からこれまで以上に期待をされています。しかし、単独行動はせず、フランスとともに行動し、去年から「積極的外交政策」と称して、ドイツはこれまで以上に大きく強くなったので、世界、EUの中で、ますますドイツは貢献していくという考えを発表しています。 このことは、25年前の立ち位置と明らかに異なります。フランスとともに、これからどういう方向に変化していくのか、政治の中心は安定していても、国内の社会的な現象と表裏一体になりますし、周囲の状況も変化しますので、ドイツ語学科のとりわけ現役の学生さんは今後のドイツ情勢や周囲の状況をよく考えていただきたいと思います。
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(最近のヨーロッパの情勢についての追加)

「5月の同窓会では講演の機会をいただきありがとうございました。お話しさせていただいてから数ヶ月の間に、いくつかの変化がありました。一番大きなことは、ギリシャ危機が再燃したことと、そして一時的かもしれませんがこの危機は当面収束したこと、もう一つは難民問題が非常に大きくなってきたことです。北アフリカや中東の不安定化により、四半世紀前と同様に多数の難民がドイツをはじめとするEU諸国も流入し、受入の限界に達しつつあります。人道的な観点から受入を進める寛容な社会はまだ維持されていると思いますが、ネオナチをはじめとして暴力的な行動で反対する事件も多くなりました。どちらの問題も、EUの中でのドイツの行方が大変注目される問題です。詳細は日本では充分に報道されませんが、ドイツ語学科の卒業生・学生として、今後も注目していただきたいと思います」
                                                                                                             2015年9月15日 

森井先生の紹介をされる河崎健教授
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講演される森井裕一東京大学大学院総合文化研究科教授
morii-1-20150531

森井裕一東京大学大学院総合文化研究科教授講演会の様子
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