花の都パリで過ごした一年半

高松 雛子

 

 私は2015年の9月から2016年6月までパリに留学しました。Institut Catholique de Paris(パリ・カトリック学院)で1年間を交換留学生として過ごし、その後の半年間は休学留学の手続きを取って併設の語学学校に通いました。パリは「花の都」とも呼ばれる都市ですから、ノーブルかつ優雅でゴージャスなイメージに夢膨らませる人が多いでしょう。実際私もその1人でした。パリに住むと、そのイメージからは想像もできないような事も起き、生活が一筋縄では上手く行かず一時期は日本に帰りたくて仕方がなかったこともありました。しかし今考えると、長期間暮らしたお蔭で、ローカルな部分にも密着した旅行など、短期滞在では伺い知ることのできない濃密な生活が送れたように思います。帰国後、友達から「もしもう一度チャンスがあればまたパリに留学したい?」と聞かれたことがありました。答えは迷わずYESでした。私は、中高生のときからフランス語学科に入学しフランスに留学したいという夢を胸に抱き、上智大学に入学したのです。留学をすでに目指している皆さんはもちろん、留学は特に考えていない方にも、この文章を読み、留学したいと思っていただければ嬉しく思います。

休日などランニングしたエッフェル塔周辺

休日などランニングしたエッフェル塔周辺

挫折と衝撃だらけの1年間
 当初は交換留学生だったので、学部の正規生としてフランス人の学生と同じ様に授業を履修していました。学部は、日本の政治経済学部に該当するところです。大学の授業システムは日本の大学とほぼ同じで、シラバスをチェックし興味のある授業を受講します。けれども問題だったのは、日本のようにきちんと学事が動いてくれないこと、先生がよく遅刻することに加えて、何よりも授業についていけないことでした。上智でも3年間フランス語を学んだ上に、中学1年生から週1回フランス語学校に通ってもおり、アドバンテージがあると自負していたのに、はじめは授業の内容が全く理解できませんでした。パリ・カトリック学院はその名の通りカトリック系の大学ですから、在籍する学生の大半は白人のフランス人です。しかも、上智と提携を結んだのも私が渡航する前年度に過ぎず、留学生の中でもアジア人が極端に少なかったのです。ヨーロッパからの留学生はフランス語が堪能な生徒が多く、当然授業は正規生向けにオーガナイズされていました。そして不平等になってしまうから留学生向けに特別措置は取らないという教授がほとんどでした。私の他に上智から留学していた2名はフランス文学科の学生で、選んだ学部も政治経済学部の私とは違っていました。困り果てた私は、とても優しそうなスペインとドイツのハーフの人と友達になり、ノートを貸してもらって授業の予習復習に努め、猛勉強に明け暮れるようになりました。その友人のお陰で、半年ほど経つとかなり授業の内容を理解し、参加できるようになり、とても楽しく過ごすことができました。また、日本では出会うこともないような国籍やバックグラウンドを持った人が同じクラスにいるとわかることもよくありました。チャレンジングな環境下であっても、異色の友達ができて面白い話が聞けるもの留学の醍醐味ではないかと思います。

友人とのひと時

友人とのひと時

テロの経験
 2ヶ月が経ち、だんだんと生活にも慣れてきた矢先の11月、パリ市内で同時多発テロ事件が起きました。その金曜日の夕方、私は銃撃戦が起こった地区を友達と放課後散歩しており、襲撃があったのは、私たちがたまたまその地区を離れた直後だったのです。間一髪で無事だったのかと思うと、身の毛がよだつ思いでした。一晩明けた土曜日の朝になっても犯人の一部がまだ逃走しているという情報があり、その週末は事実上の外出禁止令が敷かれました。留学生だけでなくフランス人の友達も、安否の連絡を取り合っており、誰もが未曾有の事態に戸惑いを隠せない様子でした。大学の方は、週明けの月曜日から通常通りに授業を行うという連絡があっただけで、特別な対応は何もありませんでした。まさに一番驚いたのが、この大学の対応が象徴しているような、フランス人のテロに屈しない姿勢でした。テロへの一番の抵抗は普段通りの生活を行うことだと、人々が口々に言っていたのです。この姿勢は、東日本大震災の年に入学式等を取りやめた日本とは全く異なるものです。当時、一時期は恐ろしくなって、もう帰国したいと思ったこともありました。しかし夢と目標だった留学をこのために諦めることには自分でも納得できませんでした。家族からは戻ってきてほしいと懇願されましたが、何とか説得してそのままパリでの勉強を続けようと決意しました。振り返ってみると、一方ではこの事件から学んだ事もあります。巻き込まれて犠牲者にならなかったからこそ本当に幸いだったものの、その可能性もあったわけで、危機意識の重要性を感じました。夜も煌煌と街頭がきらめき治安が良いとされる東京で育った私は、それまで実際に無防備で、スリに遭わないように程度の注意しかしておらず、根本的に甘かった自分の考えと弱さを再認識させられました。自分の身は自分で守るしかない、それが海外で生活していくということなのでしょう。また家族や友達が当たり前に明日も存在する、そのありふれた幸せが突然不可抗力によって失われてしまうこともありえるのです。それを意識したのは、テロ事件の経験を経てのことです。身の回りにいる人のありがたさに初めて本当に気付かされた経験でした。

イタリア、アマルフィ

イタリア、アマルフィ

 

 ヴァカンス大国フランス
 勉強は勿論大変でしたが、大学の休暇期間が長いのもフランスの特徴です。パリは地理的にヨーロッパの中心に位置しており、どこに行くにも便利です。私は休 暇を利用して、南仏をはじめイタリアのアマルフィ地方、フィレンツェ、ローマ、ヴェネチア、ドイツのベルリン、それからモナコを旅行しました。シェンゲン 域内であればパスポートコントロールがスムーズで、出国も比較的簡単にできます。LCCが発達しているお蔭で安価に飛行機に乗れたことも、これほど様々な ところに行けた理由の一つです。特に印象に残っているのは世界遺産にも登録されているアマルフィ地方、本場ドイツのクリスマスマーケット、そして南仏で す。パリは一年を通し寒い日の方が多いので、暖かいところに行きたいと思うことが多く、南を旅行先に選ぶ傾向にありました。アマルフィは交通の不便な場所 にあり、行くまでがとても大変でしたが、その分到着したときの感動はひとしおでした。かわいい色合いのカラフルな家々が断崖絶壁に広がって いました。階段が至る所に張り巡らされており、美しい町並みが、編み目のような階段の合間から見えるのです。ベルリンのクリスマスマーケットで、気温零下 の極寒のなか飲んだ、甘いホットワインの味も忘れられません。ニース、カンヌ、サントロペなどの南仏の都市では、イタリアに近いからでしょうか、本当に安 くて美味しいイタリア料理が食べられます。人々の気質も、イタリア人のように陽気でした。その気質に対応するかのような明るい気候にも惹かれ、私は南仏の 虜となってこの地を二度訪れました。

留学の延長
 1年間の予定留学期間も終わりにさしかかった頃、「やっとフランス語が上達しかけたのにここで帰るのか」とふと思いました。言語はやはり使えば使うほど上 手くなるもので、ようやく友達とも授業でも意思疎通できるようになった頃に帰国することには、強い抵抗を感じました。そこで、更に半年間、留学を延長する ことに決めました。就職活動が事実上始まってしまっている時期に私はまだフランスにおり、いずれにしろ大学を卒業するには5年かけるつもりでしたから、帰 国を遅らせることにはためらいませんでした。延長後は、パリ・カトリック学院に併設されていたILCF(Institut de Langue et de Culture Françaisesフランス言語・文化研究所)という語学学校に通いました。語学学校というと、文法やスピーキングなど、言語の4技能を鍛える授業をし ているところだというイメージがあります。そのような授業はもちろんありましたが、ILCFではそれに加えてレベル別に大学の講義縮小版のような授業も開 講されていました。専門的な先生が多分野の学問を教えてくれる授業が多数ありました。そこで私はフランス語の授業に加えて、そのような専門の授業も併せて 履修することで半年間を過ごしました。この学校の生徒は留学生だけですから、分からない事も分からないと堂々と発言しても気まずいことはありません。また 先生の方も、間違えて当然という態度で優しく指導して下さるので、学部生だった時より比較的リラックスして授業に専念できたように思います。ILCFは少 人数制を取っている上に、学事のバックアップもしっかりしていますから、休学留学・一般留学を考えている方にはこの学校をおすすめできます。

 おわりに
 はじめは慣れない手続きの連続に対処しなければなりませんでしたし、日本と勝手が違うことに戸惑いを覚えたりしたこともありました。ストライキが日常的に 頻発して公共交通機関に影響が出たり、学校では軽い差別を受けたり、不愉快なことも多々ありました。しかもそれに追い打ちをかけるように同時多発テロ事件 が起きたのです。様々なことにカルチャーショックを受け、一時期は帰国を考えた日々もありました。しかし、留学の最後にさしかかる頃、一人 のフランス人の友達が、それまでずっと中国に留学したいと言っていたのに、「あなたと知り合って日本へ行ってみたくなったので、上智大学に留学することに した。」と報告してくれました。その時、私は言葉にできないような達成感を感じました。私の留学生活は自分のためだけだけでなはなかった、日本人として、 日本に興味のなかったフランスに人にも影響を与えられたのだとおそらく実感したのでしょう。留学は、多くの経験を得て自分を大きく成長させるものであると 同時に、自分自身は気付かないところで、留学先の国に対してもそれ以上の何かを残しているかもしれません。また留学は、自分のために時間を存分に使える大 学生のうちにしかできないことでもあります。是非多くの方々に体験していただきたいと思います。