セネガル共和国での日本語教師インターンシップ

野口 良人

 昨年2017年秋、10月半ばから12月末までの約二ヶ月間、私は西アフリカのセネガル共和国でインターンをしました。私が参加したのは、民間非営利団体あしなが育英会が主催する「アフリカ人遺児高等教育支援100年構想」プログラムです。親を亡くした優秀なアフリカ人の学生に対し、将来のアフリカでリーダーとして活躍する人材になってもらうため、先進国での高等教育を受けられるよう奨学金支援をするというものです。具体的には、2017年度の場合、フランス語圏アフリカ諸国から選抜されたアフリカ人学生計19名がセネガルに集められ、フランスや日本などの先進国の大学へ留学するための準備をしました。学力だけでなくリーダーシップ、チームビルディングなどの研修を4ヶ月から6ヶ月にわたり首都ダカールにあるあしなが育英会の宿舎で受けるもので、スタディキャンプと呼ばれています。10名弱の現地スタッフと約10名のインターン生がこのプログラムを実施していました。そのインターン生の一人としての私の役割は、スタディキャンプ最初の2ヶ月間に日本への留学を目指す学生5名に対し、日本への興味を喚起することを第一の目的とした日本語教育をすることでした。そのために毎日教案を作成して準備した上で、授業を行っていました。

あしながセネガル2017年度オープニングセレモニー

あしながセネガル2017年度オープニングセレモニー

 このプログラムに応募した動機はその前の年に遡ります。大学3年次の秋学期から交換留学生としてカナダのモントリオールで2学期間を過ごし、その留学を通して、語学はあくまでも何かをするための手段でしかないと痛感したのです。そこで、学んだ語学を活かして何か私にできることがないかと考え、フランス語圏でのインターンシップを探しました。ちょうどこのインターンシップの募集を見つけ、参加してみようと決意しました。また、カナダとは対極にあるアフリカという土地を訪れたことがなく、実際に自分の目でアフリカの社会を見てみたいと思っていたことも応募の一つの動機でした。

 もちろん、初めてのアフリカですから、生活は容易ではありませんでした。断水や停電もしばしば、衛生面・食事面など困ることが多々ありました。けれども最も大変だったのはコミュニケーションでした。基本的にはフランス語と英語を使用していたのですが、インターン生とスタッフ間のミーティングが頻繁に行われるなど、高度なレベルでの語学力が必要です。ところがそれが私自身には無く、後から内容を確認しなければいけないなど大変苦労しました。

ダカール市民の足「Car rapide」(高速バス)

ダカール市民の足「Car rapide」(高速バス)

 インターンに参加してよかったことをいくつかあげてみます。
・外国語を使ってグローバルに働く難しさが分かったこと。外国人に囲まれて外国語を使って働くためには、まず、そこで使う言語を高いレベルで運用する能力がないとスタート地点にすら立てないのだと痛感しました。
・語学力が向上したこと。毎日フランス語で生活するだけでなく、仕事に関するミーティングや授業など日常生活以上の語学レベルを必要とする環境におかれ、留学時よりもはるかに“フランス語漬け”になりました。
・「豊かさとはなにか」ということについて考えることができたこと。セネガルは日本に比べてはるかに経済レベルは低いにもかかわらず、多くの人が笑顔で生活していたことが強く印象に残りました。それまでなんとなく自分の中にあった「経済的な豊かさ=幸福」という式は正しくないことが目の当たりに証明されたような思いがします。

首都ダカールの大通り

首都ダカールの大通り

 振り返ってみると、今回のインターンシップを通して最も心に残ったのは、アフリカ人学生達の姿でした。厳しい環境で育ちながらも、それを言い訳にすることなく夢の実現へと近づくチャンスを得たことに感謝し、夢に向かってひた向きに努力を続ける姿。どんなことにも好奇心を持ち、目を輝かせる純粋さ。この学生達の様子を見て、自分はあくまで「ある程度」頑張ってきた程度、もしくはそれ以下でしかないなと思いました。いま自分が大学生として何不自由なく高等教育を受けられているのは恵まれており、それに感謝し、どんなことにもチャレンジしていかなければと感じました。

  今回の研修は2カ月という短期で、私自身断片的にしかアフリカでの生活や国際協力の最前線に携わる事はできませんでした。その為、まだまだ分からないことや大変なことはあると思います。ただ、それによって得た発見は大きく、この貴重な経験を単なる「体験」で終わらせないように頑張っていきたいと思います。

アフリカ人遺児高等教育支援100年構想サイト

Ashinaga Sénégal