9.11の記憶

9.11の記憶

 

みなさん、こんにちは。今回teacher_blog担当の出口真紀子です。みなさんは、2001年9月11日には何をしていたか覚えていますか?まだ幼かったでしょうから特に記憶がないかもしれません。当時、わたしは大学院生で、アメリカのボストンという街に住んでいました。その日は、とても緊張していました。なぜなら、大学で初めて自分の授業を持たせてもらったばかりで、その日がまだ二回目の授業の日。先生としての経験が浅いわたしは、どのように授業を進めていいのかがわからず、朝から固まっていました。

 

午前9時半ぐらいでしょうか。まだ自宅にいたわたしに、東京で朝日新聞記者をしている友人から突然国際電話がかかってきました。「今すぐテレビをつけて!」友人は切迫した様子で叫んでいます。私は日本に大地震でも起きたのかと、慌ててテレビをつけると、ちょうどニューヨークの世界貿易センタービルに、航空機が突っ込む映像が目に飛び込んできたのです。後でわかったのですが、その航空機は、世界貿易センタービルに突っ込んだ二機目だったのです。

 

何が起こったのかすぐには理解できず、テレビの報道を追ってしばらくすると、まさにニューヨークの象徴である世界貿易センタービルの二棟が跡形もなく崩れ落ちてしまったのです。とても現実とは思えぬ展開にただ呆然としていました。また世界貿易センタービルに突入した航空機は二機ともボストン発(ロサンジェルス行き)の便だということがわかると、「次の標的はボストンではないか」とボストン住民たちもかなり動揺していました(結果的に無事でした)。こうした事件の一連が「アメリカ同時多発テロ事件9.11」と呼ばれるものだったのです。犠牲者はおよそ2,900人でした。

 

このように、9.11はわたしが初めて教えた学期の始まりと重なったことからも、深く記憶に刻まれています。また、この事件はアメリカという国自身のアイデンティティを大きく揺さぶりました。多くのアメリカ人は「Why do they hate us so much?」と自問するようになり、そして国自体は政治的にも社会的にもどんどんおかしな方向に進んでいくのです。次回はテロ事件直後のアメリカ社会におけるアイデンティティの揺らぎとその教訓について書こうと思います。(出口真紀子)