9.11の記憶(Part 2)

前回、「アメリカ同時多発テロ事件9.11」について書きました。この事件はアルカイダというアフガニスタンに拠点を置く反米組織が、旅客機を4機ハイジャックし、アメリカの象徴である世界貿易センタービルやアメリカの国防総省(ペンタゴン)に激突させたという事件です。そのうちの一機は(未遂に終わったものの)ホワイトハウスもしくは国議会議事堂 を標的にしていたとも推測され、この事件はアメリカ自身に「自国の領土が侵略された!」と国民感情を大きく揺さぶるものとなりました。

 

多くのアメリカ人は、「私たちは自由を愛し、自由と民主主義を広めようとしているのに、何故攻撃されるのか。アメリカはこんなにいい国なのに、どうして周りは私たちを嫌うのか」と自問するようになります。実際にブッシュ大統領も、この事件の9日後に「Why do they hate us? They hate our freedoms, our freedom ofreligion, our freedom of speech, our freedom to vote and assemble and disagreewith each other」と国民に向けての演説をしました。彼が「They」を使うことによって「Us vs. Them」の図式を強調し、逆にイスラムイスラム教徒やアラブ系アメリカ人へのヘイトクライム(hate crime)が急増し、復讐を求めて戦争を支持する人々が増える結果となったのです。しかし、そうした中でアメリカという国の傲慢さや、「正義」を掲げながらも抑圧的な外交を行うなどといったアメリカ自身の普段の姿勢への反省を含め、「アメリカ人とは何か」を見つめ直そうとする動きが大学や教育者の一部の間でみられたのでした。

 

その一つの例が「アメリカ人としての特権を考える」動きです。特権のことを「Privilege」といいますが、これはこの文脈においては、「努力せずに得ている恩恵」を意味します。つまり、「American Privilege」というと、アメリカ人である故に自分の努力によるのではなく、アメリカ国籍を保持していることによって受けることのできる恩恵を指します。Peggy McIntoshという、「白人の特権 (White privilege)」という概念の先駆者が企画した「アメリカ人の特権を考える」というワークショップに私も参加しました。今回はそのときに参加者から出た発言を紹介したいと思います。

 

ワークショップの参加者はほぼ全員が白人のアメリカ人教員でした。一人一人が「アメリカ人であることによって自動的に受ける恩恵(特権)が何かについて考え、順番に発言していきました。ある人は「私はアメリカ人として海外に行けば、誰かが英語を話してくれると期待できる。だからその国の言葉を学ばなくてよいという特権がある」と発言しました。別の人は「私はアメリカ人として、他の国について見たり、知ったりしないでいられる特権がある。他の国のことを考えなくても普段の生活を送ることができる。」と言い、またある人は「私は海外に行き、他の国の孤児を養子としてもらってくることができる特権がある」と言いました。また別の人は「私はアメリカ人として、貧しい国の孤児院に行き、援助をした後、そこを去ることができるという特権がある」と言いました。また、ある人は「私はアメリカ人として、アメリカの文化が世界中の国々に浸透しているという状況の中で、立派な国から来たと自動的に良く扱われる特権がある」と語りました。

 

私はこの参加者たちが真摯にアメリカ国籍保持者である自分たちの特権について自覚していくプロセスを目の当たりにしながら、やはり、国民の一人一人が自分の国のもつ特権について自覚する重要性を強く感じました。ここに参加していた白人のアメリカ人の中には、「我々は悪くない、テロリストたちが悪いのだ」などと言う人はいませんでした。皆、強者側にいる自分たちのいわゆる「当たり前」になっていた特権に自覚的になろうとしていたのです。特権があるのが当たり前になってしまい、他国に行ってもその特権を自覚していない人は他国の人に抑圧的だと写るだけでなく、実際に抑圧的な構造をそのまま持ち込むことになるのです。国民がまず一人一人のレベルでできること、それは自分の特権と向き合うことだったことに気づかされました。これが今回のテロ事件直後のアメリカ社会における教訓の一つだと思います。

(出口真紀子)