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バルトはどこに?

 

さて、少し間が空きましたが、 みなさんは新学期のリズムにそろそろ慣れて、周りを見る余裕が出てきた頃でしょう。周りを見ることもだいじですが、とくに若い時は、想像力と知識を活用して、できるだけ自分から遠い世界へ思いをいたすこともたいせつ。

みなさんは、日本から最も遠いヨーロッパの国々というと、まずどこを思い浮かべますか。「遠い」という言葉の意味は、もちろん、さまざまに解釈できますが、地理的にも歴史的・文化的にも、私たちからいちばん遠くにあるのは、北欧あたりではないしょうか。

そこで、きょうとりあげたいのは、みなさんにとって、たぶん最もイメージのもちにくい地域、バルト諸国(ラトヴィア、リトアニア、エストニア)です。

私が初めてバルト三国を訪れたのは、学生時代、1980年の夏でした。当時は、ソ連邦を構成する3つの共和国でしたが、文化圏はゲルマン系です。ショックだったのが、道行く人々の背の高さと手足の長さ、顔の小ささ。女性でも180センチを超すような人が少なくなく、たいていはかなり高いヒールを履いているので、たえず上から見下ろされているような感じでした。モスクワ経由で行ったので、とくにこのような印象が残りました。というのも、ロシア人のような東スラヴ民族は体形こそがっしりしていますが、身長はそれほど高くはありませんから。

バルト三国では、ロシア語は通じこそしましたが、現地の人たちは、専らそれぞれの民族語をしゃべっていました。ラトヴィア語は、ラテン語とスラヴ語が混ざったことばのように聞こえました。そして、とりわけ、エストニア人の話すロシア語は訛りが強かったですね。

ラトヴィアのリガでは、科学アカデミーの日本文学研究者から話を聴く機会がありました。そこでまた驚いたのが、日本に一度も行くチャンスがなく、将来的にもおそらくないと思われる年配の研究者が、日本の古典文学や詩をラトヴィア語にたくさん翻訳していたことです。日本文化への関心は、年ごとに高まっているとのことでした。

一方、エストニアのターリンでは、中世ヨーロッパの街並みが輝いていたし、日差しは強いけれど、飛び込んだバルト海の水がとても冷たかったのをよく覚えています。

ここで、バルトやその周辺地域に興味がある人に耳よりの情報です。6月17日(土)の14:00から、バルト諸国に関する興味深いシンポジウムと講演が本学で催されます。題して、「バルト諸語とその隣人たち-民族と言語をめぐる諸相-(主催:日本スラヴ学研究会、上智大学ヨーロッパ研究所)。内外のすばらしいゲストがいらっしゃいます。大学のHPでも紹介されているので、ぜひ見てみてください。

このような刺激的な催しに積極的に参加して、知見を広めれば、新しい視野が開けます。私も出席する予定です。会場で会いましょう!

 シンポジウム・ポスター(日本語タイトルのみ)

 

 

 

 

 

 

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