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☆研究活動記録 「北アフリカ・アラブ研究とサハラ地域研究」 私市正年(きさいち・まさとし)

2013年12月06日

kisa03

 

「北アフリカ・アラブ研究とサハラ地域研究」 ―歴史と現実がつながる楽しさ―

                        総合グローバル学部 私市 正年

 

大学の卒業論文で「アルジェリア民族運動研究」に取り組んでから私は一貫して北アフリカのアラブ地域に関心をよせてきました。この地域はフランスの植民地支配下に置かれたのでいまでもフランスの影響が強く残り、フランス語が浸透し、西欧風の街並みが広がり、歴史の古いフランス・レストランも数多くあります。

 

この15年ほど前から私はアルジェリアのブーサーダという町(アルジェから南東250㎞)に通いつめています。それは植民地期1948年に青年たちが非合法下で発行していたal-Ruh(魂)と呼ばれる新聞が発見され、それがアルジェリア・ナショナリズム研究に新しい光をあてる可能性があるからです。印刷機も使わず、手書きのアラビア語新聞なので読解するのにも一苦労しますが、当時の若者たち(18歳くらいから25歳くらい)の、アラブ・イスラーム文明の復活への熱い思いやアルジェリア独立のための叫び声には、おもわず「グイー」と引き寄せられてしまいます。彼らはこの新聞をフランス軍に見つからないように注意しながら(見つかれば逮捕される)「回し読み」していたのです。公式史観による1954年11月1日のFLN武装闘争の前に、地方の青年たちがすでに武装闘争の道を選択したことが明らかになると思うと浮き浮きします。

 

実はアルジェリア植民地史研究をしていて不思議に思うことがしばしばあります。それは、この研究がきわめて現代的な問題と直結していることです。そのため北アフリカで紛争や政治変動が起こるたびにテレビや新聞でコメントを求められたり、原稿執筆を依頼されたりします。アルジェリアでは1990年代に「イスラーム急進勢力」と軍・体制とが武力衝突し、テロリズムの嵐が吹き荒れる内戦状態に陥りました。2011年1月、チュニジアで大衆運動によってベン・アリー大統領が失脚しました。いわゆる「アラブの春」の始まりです。2013年1月にはアルジェリアのイナメナスで誘拐テロ事件があり、日本人技術者10人が犠牲になりました。これらの出来事は歴史的事件ではないように見えますが、フランス植民地支配の影響が政治・経済・文化の側面に残存していることを示している事件なのです。

 

このような問題はサハラ地域とも結びついています。自ずと私の研究領域は、マリやニジェールなどサハラ南部地域にまで広がり、そこで起こる紛争・政変、それに伴う難民や復興支援などにも関心を寄せています。ただし「歴史的射程」という研究視点は失わないようにしたいと思っています。北アフリカのアラブ研究とサハラ地域研究を結びつけた研究が、いま楽しくて仕方ありません。

 

手書きのal-Ruh紙

手書きのal-Ruh紙

「アラブの春」はチュニジアからエジプトに広がった(2011年カイロ・タハリール広場)

「アラブの春」はチュニジアからエジプトに広がった(2011年カイロ・タハリール広場)

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